ブログ

NPO友愛会のブログです。

 

ブログ一覧

友愛会の支援者への手紙 57

 


“時”とは、待つは遅く、過ぎ去りしは迅し。
“時”とは、辛苦は長く、喜楽は短し。
律をたがえず刻むものでありながら、私たちは同じ“時”を時々のはやさで漕いでいるのであろう。
己の中だけではない。
ある人にとって遅く長い“時”が、私にとって迅く短い“時”であることも、またその逆もある。
彼はいつも待ちわびたと言う。
そして、もう帰るのかと言う。
週に一度の訪問看護の一時に談笑することが、彼にとっては楽しみであることは承知している。
せわしなくバタバタと毎日が過ぎる私にとって瞬く間にやってくる明くる週の訪問看護が、彼にとっては遅く長いものなのかもしれない。
互いに同じく感じるのは、談笑している“時”のはやさであろうか。
「また来週」と手を振る彼と「また来週」と返す私の“時”の不思議を思う。

2023年07月05日

友愛会の支援者への手紙 56

 

アドヒアランスよりコンコーダンスを

コンプライアンスという言葉はご存知の方も多いと思う。
直訳すると、“要求・指示などに応じること”、“人の願いなどをすぐ受け入れること”といった意味である。
対人援助の領域でもよく使う言葉なのだが、医師などは処方通りに内服できていない患者さんを「コンプライアンスが悪い」と表現したりする。
如何にも、健康管理・疾病管理は医師などの専門家が行うと言わんばかりの表現であって、私などはあまり好きになれない言葉である。
翻って、プライマリヘルスケアやバイオエシックスの概念が少しずつ浸透してきた現在、「自分のことは自分で決めていく(自己決定)」ということを、多くの対人援助職が真剣に考え始めてきている。
そして、インターネットを中心とした情報媒体の発展は、功罪ありながらも当事者自身が「自己決定」をしやすいだけの環境を促しているように思える。
そういった中で、コンプライアンスに代わるものとして「アドヒアランス」という概念が広く用いられはじめている。
直訳すると“忠実”“支持”といった意味である。
転じて対人援助職などは「当事者が治療、療養及び支援方法の決定過程に参加した上で、その方法を自ら実行していくことを目指すもの」といった意味で使われている。
何となく分かると思うが、「アドヒアランス」も「自己決定」とはちょっと違ったニュアンスである。
そんな中で、イギリスを中心により「自己決定」に沿った考え方として「コンコーダンス」という概念が使われはじめてきた。
「当事者と専門職がパートナーシップの基盤に立ち、当事者の“経験”や“信念”を大切にしながら一緒になって意思決定を行い、最終的には専門職の決定よりも当事者の決定を尊重する」というものである。
先日、「言うとおりに薬を飲まないなら他の病院に行けばよいと言われた」と、ある人が私のところに相談しにきた。
よくよく話を聞いていると、そう言い放った医師の思いも想像できる。
その人はあれこれ自分で調べた薬の副作用や周囲の話からのイメージで、処方薬に対する不安が強いのであろう。そのため、その不安を医師に訴えたのであろうが、医師には自分に対する不信感と感じ、少なからず偏った薬の知識に対しても懸念を感じたのであろう。
コンコーダンスの説明で、「…当事者の“経験”や“信念”を大切にしながら…」と書いたが、往々にしてこれが上手くいかないことも多いのであろう。
医療だけのことではなく、広く対人援助職はこの「その人の“経験”や“信念”を大切にする」ことを、より深く真摯に求めていく必要があるのだと思う。

2021年06月18日

友愛会の支援者への手紙 55

 

あなたへ

友愛会のホームページ経由でメールが届く。
「いま住むところがなくて困ってます…」。
メールでの相談は最近増えてきている。
特に若い年齢層の方は、スマホやPCといった末端からアクセスしてくることが多いように思う。
内容はいつも切実である。
先日あった相談のメールは、学童期に両親を失い、一人身を寄せた親戚の家で辛い思いをし、二十歳前後で家出。
その後今日に至るまであちらこちらを渡り歩き仕事をするも、住民票などの身元を保証するものがないので最近は職につけなかったとのこと。
ここ数年住んでいたシェアハウス(多分、脱法ハウスと思われる)の環境は酷く、しかも建物取壊しを理由に突然出されてしまい、ネットカフェ難民に。
そして節約していた所持金も底をつき、ネットカフェのPCで友愛会のホームページを見つけて…。
メールへの返答では、できれば友愛会まで一度来てほしいと伝える。
深く穿った質問などはするつもりはないが、ゆっくり話してより状況が分かれば、本人が考えている以外の選択肢も提供できることもあるから。
そして、当たり前ではあるが八方ふさがりの状況で一人考えているときは、冷静でいられるわけもなく自分の考え以外見えなくなってしまう怖さもあるから。
されど、来れないほど遠くに居る方もいる。
来る交通費もない方もいる。
しかしながらやはり、活字のやり取りには限界を感じる。
伝えきれないし、伝わりきらないことが多い。
疑心暗鬼の状況で、切羽詰まった状況で、活字だけのやさしい言葉は、返って不信にさいなまれることも多いであろう。
冷静さの意をもった表現は冷淡に感じとられることも多いであろう。
自戒するしかないが、幾度かそんな理由で落胆させてしまったこともある。
もしあなたが友愛会に、自分のこと、身近な人のことを相談してみようと思っているなら安心して連絡してほしい。
どれ程のお手伝いが出来るかは分からないが、あなたを騙したり陥れるようなことは決してないことは約束できる。

2021年02月26日

友愛会の支援者への手紙 54

 

被害者の思い、加害者の悔い
  ※不快に思われる方がいるかもしれない内容です

友愛会には、DV(親密な関係にある相手からの暴力)の被害にあっている方からの相談が多い。
暴力を受け、生活を縛られ、逃げたいのに恐怖と不安から逃げられない。
やっとの思いで逃げても、イネイブリングに陥った心から逃れられない。
イネイブラー(イネイブリングしてしまう人)とは、知らぬ間に問題行動を陰で助長している身近な人のことです。本人の自覚なしにそんな役割を担ってしまう。この「共依存」的な囚われた心が、DV加害者に再び接近していく結果をもたらしてしまう。
この様な自分自身でも気づけていない「虜性」も含め、“被害者”という立場にある方への思いから、加害者への怒りと憤りをおぼえる。
かたや友愛会には、刑期明けの方(刑務所出所者)や保護観察処分中の方の生活再建についての相談も多い。
傷害や窃盗、詐欺などの事件を起こした、“加害者”であった彼ら。
悲しくも更生できない方も多い中で、悔いて改めて生きていこうという方もいる。
しかしながら、世間は「ムショ帰り」に冷たく、それは彼らが挫けてしまうほど威力を持つほどである。
悔い改めようとする“加害者”という立場にある方への思いから、社会のレッテルと冷たさのようなものを感じる。
ひとつひとつの出来事、ひとつひとつの立場、視点が変わることで答えを失う。
被害者の相談から加害者への…、加害者だった方からの相談から社会への…。
「寄り添う」と言うならば、どこに寄り添っていくのか。
人の世に起こることには、絶対性をもった答えがないことを日々感じる。

2020年11月20日

友愛会の支援者への手紙 53

 

摩耗は研磨へ

就労支援をする。
就労先(バイト)がみつかって働き始める。
給料日に給料を持って失踪する。
パチンコで所持金を使い切る。
使い切ったらOFFにしていた携帯の電源を入れて「助けて」と連絡してくる。
そして帰ってくる。
スタッフや私と面接する。
下を見たまま黙ってやり過ごす。
面接が終わると「僕のこずかいはどうなりますか?」と悪びれずに言う。
そして、また同じことを繰り返す…。
彼は軽度の知的障がいを伴う発達障がいである。
しかし、その障がい性が直接的にこのような「わがままで困ったことの繰り返し」を生み出しているわけではない。
もちろん、障がいによる「理解の不十分さ」や「思考・行動統合性の低さ」も関係しているのであろうが、むしろその障がいによって経験してきた“生きづらさ”に対する本人なりの“生きる方法”によるところが大きいと思えるのである。
偏見、差別、不理解、排他、騙し、いじめ、暴力などといったことを理不尽に経験してきた経緯を知るに、それらによって染められた生活に絶望し、あきらめ、怒り、開き直ってしまったことで編み出した“生きる方法”なのだと感じる。
「サバイバー」なんて表現をしている人も多くいますよね。
ただ、何度となく同じ「看過できないこと」を繰り返されると、私たちも摩耗する。
「もう好きにしろ」とも思うし、「こんな奴、支援する必要なんてない」と思うことも正直多々ある。
そう、「私たちは何をしているのか」と心が摩耗するのである。
そして考える。
「本当にほったらかしていいのか?」「支援する必要なんてないのか?」
摩耗した心の中でねじりだす思いは、
「彼がそうなったのは彼の所為なのか」
「つらい経験の結果、今の彼があって、今の彼のあり方の結果、これからよりつらい経験につながってよいのか」
「彼は変わらないと言い切れるのか」…
そして、「彼にそれは良くないことだと言い続けなくては」となる。
支援、援助、助けといったものなのかどうかなんてことは分からないし、ある意味どうでもよいことな気がする。
ただ少しでも「生きやすくなる方法」を伝え続けるために、もう一度、そして幾度となく向き合うと思うのである。
摩耗は研磨へとつながっていくことを願って。 

2020年09月11日

友愛会の支援者への手紙 52

 

「前向きにあきらめる」こと

とても大切にしているスタンスの一つに「前向きにあきらめる」というのがある。
「あきらめる」という言葉はどちらかというとネガティブなイメージが強い。
自分の願いが叶わなかったり、行いが至らなかったりする中で、残念を断ち切るという意味で使われているのが一般的である。
この「あきらめる」に、漢字をあてると「諦める」や「明らめる」となる。
実は、『諦』の字は、「真理」や「道理」を表す漢字。
熟語で考えると、「諦観(たいかん)」、「諦聴(たいちょう)」などで使われるが、これらの意味は「つまびらかにみる、聞く」というもの。
つまり「あきらめる」は、「つまびらかにする」「明らかにする」が本来の意味である。仏教用語でもそのような意味で使われている。
この本来の意味での「あきらめる」ことは、私や友愛会の活動の中でとても必要だったりする。
たとえ話を一つ。
よくあるような話だが一応フィクションである。
ドヤ(山谷地区の簡易旅館)で一人暮らしをしている、仮にAさんという人がいて、脳梗塞を起こし半身が麻痺になってしまっている。離床は何とかできるが車椅子は嫌がり、バランスの悪い杖歩行を決してやめない。老人ホームやグループホーム、友愛会の宿泊所にも絶対に入りたくないと強く拒否している。介護保険を利用して在宅支援を導入してもヘルパーや看護師が訪問することは承諾してくれるが、デイサービスに通所することは嫌がって受け入れない。入浴についても、ドヤの風呂では介護は無理だからデイサービスでと言っても行かない。オムツも嫌がりトイレに行くのでドヤの管理人さんにお願いして三畳一間の小さな部屋に、何とか介護ベッドは入れさせてもらうのが関の山。ベッドがなければ、調子の悪い時は床から起きれずに汚物まみれになってしまう。内服薬も自分が飲むべきだと思ったものしか飲まない。つけ加えて、お酒が好きで杖をつきながら近くのコンビニに行きワンカップを購入し飲んでいる。血圧も高いし糖尿病の気もあるのだが…。介護保険のサービスだけで足りない部分は、友愛会の生活支援事業を使ってかかわっているが、ドヤの管理人さんからは「部屋で立てなくて大声出している」、「酒を飲んで嘔吐している」と夜中に連絡が入ることもしばしば。
こんなとき、私たちは「前向きにあきらめる」ことをする。
Aさんは、若い頃から山谷地区で日雇いを続け、今いるドヤにも20年以上“住んでいる”。
身寄りもなく、酒だけが愉しみ。ドヤの管理人さんも困ってはいるが、長い付き合いのAさんがここに居たくてって言うなら構わないと言っている。友愛会がかかわる前に一度老人ホームに入ったが耐えきれずに1~2週間で出てきてしまったこともあった。彼がここで暮らしていきたい間は、それをゆるしてくれる管理人さんがいるし、老人ホームに行っても出てきてしまって「いき場所」がなくなるくらいなら、彼の笑顔がときより見えるこの状態も悪くない。
そんな風に考えるようにする。
賛否あることだと思うが、彼を施設に入れたいと思ったり、彼にオムツを履かせたいと思うのは私たちの価値観に他ならない部分もある。安全で安心できる生活を考えるとそういった事をすすめるのだが、Aさんには施設は飛び出すほど嫌で、オムツは汚物まみれになっても履きたくないものであって、その意地を通すだけの気概もあるのである。それが私たちにも「明らか」になっているなら…。
それでも日々悩む。これで良いのかと。
だからAさんに折々に施設もオムツもすすめる。
そしていつものように彼は拒否をする。
彼が嫌ならまたの機会に、彼がそう望む日があれば…、そんな「前向きにあきらめる」毎日である。

2020年07月19日

友愛会の支援者への手紙 51

 

私たちが活動する理由

ある日のことである。
息子からDVを受けている高齢女性の支援についてのコンサル的な相談が他県の知人からあった。
詳しく状況を聴いて幾つかの方法をアドバイスした。
そして最後に、「それでも上手くいかなかったら友愛会に連れてきて」と付け加えた。
数日後、無事に安心できる環境を確保できたと連絡がきた。
ほっと安心したと同時に、以前あったとある老女の出来事を思い出した。
10年くらい前の冬ことである。
A福祉事務所の高齢福祉課から週末の夕方に電話が掛かってきた。
80代後半の女性を保護して欲しいという依頼だった。
詳しく話を聴くと、息子夫婦と同居しているのだが嫁との関係が悪いのだという。
その「関係が悪い」が常識の域を超えていた。
自宅のガレージ(車庫)の中、シャッターに一番近いところに、汚くなった布団を置いて、そこで80代後半の老女は生活させられているというのである。
しかも、そのような生活を半年以上もの間…。
私たちはすぐに福祉事務所に向かい、その老女と会って可能ならすぐにでも友愛会の施設に入所させると伝えると、福祉事務所の担当者は来週で良いというのである。
来週まで、どこか彼女が泊まれる別の場所を用意できたのかと尋ねると、彼女はガレージにいるというのである。
まだ若かった小生は、「なぜそんなひどい環境に帰したのか?福祉事務所は何を考えている」と受話器に向って声を荒立てた。
担当者の説明では、恐妻に頭の上がらない息子がそっと福祉事務所に電話をしてきて状況が分かり、嫁がいない隙にその家に訪問してきての電話であると言う。
翌週、嫁が朝からいない日に福祉事務所に来るように老女に伝えているから、その日に友愛会で保護をして欲しいとのことであった。
それでも私は納得がいかなかった。
冬である。朝晩0℃を下回る時期であった。
外とかわらない状況に80代後半の老女がおかれている。
もしかしたらサイコパスの様な偏った言動とも考えられる嫁の状況を鑑みると問題の根は深い。
自分の母へそのような所業をする妻に何も言えない息子と、ある意味、事の重大さを理解していない福祉事務所にも苛立ちを感じていた。
結局、福祉事務所を急かして、その日のうちに某シェルターに避難できるようにした。その老女の家が友愛会からとても遠いこともあり、また既に夜中になっていたので、近隣のシェルターへの保護を考えたのであった。
友愛会のスタッフといつも話になる。
われわれの活動は、決して十分と言えるケアや相談、支援にまではまだまだ至っていないが、この80代後半で寒さに震え、肉親の冷たい心に震えている老女のように、友愛会を必要とする人がいる限り、よりしっかりとした活動にしていくのはもちろんのことだが、何よりもこの活動を続けていくことが大切なのだと。
そう、こういった出来事が世の中のあちこちで起きていることが、私たちが活動を続ける理由の一つである。

2020年04月14日

友愛会の支援者への手紙 50

 

一筋の糸

電話が鳴る、精神訪問看護で伺っている男性が投身自殺を図ったと精神科クリニックから。
救急車で運ばれ命に別状はないとのことであった。
電話で彼からの伝言も受ける。
「来週の訪問看護は病院に来てくれますか?」と言っていたという。
電話が鳴る、入院している知的障がいで統合失調症の方の父親から。
外泊で帰ってきている息子が奇声を上げて暴れていて助けてほしいと。
前回の外泊のときも暴れて警察沙汰になったから警察は呼びたくないと言う。
状況を聞くと警察を呼ぶほどではないので家に伺ってなだめ、落ち着いた彼は退院したらまた訪問看護に来て髭を剃るのを手伝ってほしいと笑う。
電話が鳴る、DVがあって統合失調症の息子との同居から避難している母親から。
数日前の夜中に息子が措置入院になったのだが、住んでいるアパートに戻ってきたら部屋がめちゃくちゃだからどうしていいか分からないと言う。
伺ってみると、壁に穴が開き、家具は壊されて、ゴミだらけの中に母親が呆然としている。
大雑把であるが掃除をして、母親を彼女の親戚の家に送り出す。
息子がいなくてもたまには顔を出してほしいと母親は言う。
そんなこんなの一日の終わりにアルコール依存症の方の訪問看護に伺うと、ひとりで寂しくて来るのを待っていたと。
病気や障がいがあれ、そうでないのであれ、「死への選択」や「暴れてしまうほどの衝動」を後押しし、スイッチを入れさせるものは常に「辛さ」である。
そして、本人の辛さはもちろんのこと、周囲の人間も辛さをおぼえる。
そんな辛いときには「誰かがいてくれる」という一点だけでも…、そう、会うこと、言葉を交わすことは一筋の糸になりえるのだと思う。

2020年02月28日

友愛会の支援者への手紙 49

 

いつものように

病院から帰ってきた彼は、いつものように電話で呼んだ。
「ちょっと歩くのが辛いから買い物お願いできるかなぁ?」
電話口で買ってきてほしいものを聞き、買い物を済ませてから訪ねる。
いつものように申し訳なさそうに頭を下げて、そのままあれこれ話しはじめる。
一人暮らしで訪ねてくる人もほとんどいない。
そしてこれまたいつものように血液検査のデータを見てほしいポケットから出す。
「何か変わったことある?先生は何も言ってなかったけど…」
目に飛び込んだのは異常な高値を示す腫瘍マーカーのデータ。
「こう体調が悪いのに何にも悪いところがないってんだから適当な医者だよ(笑)」
「何とも言えないけど気になるデータがあるよ。先生が何にも言わないなら何とも言えないけどね」
表情を変えぬように努めているのに彼は気づいたであろうか。
しばらくして、彼の受診日にいつものように電話がなる。
「わるい。今日も買い物お願いしていいかな」
いつものように買い物をしてから訪ねる。
いつものように申し訳なさそうに頭を下げて、そのままあれこれ話しはじめる。
そしてため息をついてから、
「大きな病院に行って検査してこいって言われたよ」と笑いながらつぶやいた。
「そうかぁ…。検査日決まったら車で送るよ。あの病院遠いからね」
「わるいね」
数秒の沈黙がつつむ。
「子どもいたらよかったのかなぁって思うこともあったんだ」と不意に彼が言う。
「それは初耳だね。そうなんだ」
本当に初めて聞いた。
「まぁ、もしかしたら子どもより面倒見のいい奴がいるからいいけどね(笑)」
その後、彼は癌を告知された。
いつものように電話がなる。
いつものように買い物をしてから訪ねる。
部屋のあれこれをそれとなく整理している様子がうかがえる。
痩せた細ってた彼にはこの寒さは厳しいであろう。
いつものようにホッカイロも持っていく。
いつものように…。

2020年01月10日

友愛会の支援者への手紙 48

 

「とき」は積もりし

年は月の積もり、月は日の積もり、日は時の積もり、時は分の積もり、分は秒の積もり。
「とき」は、大切で、穏やかで、解決の友で、じれったくて、いじらしくて、罪作りで、長くて、短くて、悲しくて、やさしくて、苦しくて、狂暴で…。
それでも常に等しく流れ、調べを違えることはない。
良しにも悪しにも停まることなく、それぞれの人生を積もらせて、それぞれに解釈と結果を与えてくれる。
腰椎の圧迫骨折後、痛みが取れてきたと言って無理に歩き転倒して大腿骨を骨折してしまったAさんは、入院も手術も拒否した。一人暮らしのアパートの中、ベッドで寝たきりの毎日。介護保険を使ってヘルパー、訪問入浴、訪問看護、そして往診で医師がくる。介護度は5なのでサービスはもっとも使える状態だけど、一人暮らしで寝たきりの人の生活を全てフォローするのは正直難しい。そもそも介護保険制度では、このような状態の人は施設で看るように考えられているといってよいであろう。
Aさんは口癖のように、「年寄の私のためにこんなにお金を使わせて、こんなに多くの人に面倒をおかけして…さっさと死んでしまいたい」という。でも、入院も施設への入所もどうしてもしたくないという。
私は、いつもこう答える。「そうだね、明日の朝起きずに…ていうのがいいかもね」と。Aさんは、「そう、眠たまま死ねるのが一番いいのよ」と。
私はつづけて、「でも困ったことに大概はそうコロっとはうまくは死ねないのよ。ならば痛みや苦しいのはない方がいいでしょ。僕はAさんがコロッと死ねるように、それまでは痛みと苦しみをへらす係だね」という。
Aさんは笑顔で答えた後、「あなたくらいね、『早く死ねるといいね』なんて言ってくれるのは。そう、長くは生きたくないわ。私はもう、やって貰うだけの人間で、何も誰にもしてあげることができない人間。生きているだけ余分に金と面倒を掛けるだけ。そこにある小さな観音様にいつも願をかけてるの。早く死ねますようにって」と言う。テレビの上には小さな観音様が大切に置かれていた。
私は「じゃあ、願をかけるなら、僕の健康や他の患者さんたちの健康を祈ってくださいな。だったらある程度時間もかかるでしょ。その間に逝ける日もくるよ」なんていって、二人で笑っていた。
それから2年以上Aさんは生きた。亡くなる少し前に「私が死んだあと小箱に入れてある手紙を見てね」と言われていた。手紙には「願をかけた観音様はあなたがもらって下さい。私が思う以上に長い『とき』を使って願かけできましたよ。やってあげられることを作ってくれてありがとう」と。
Aさんの「とき」が積もった「小さな観音様」は友愛会の事務所で利用者さんたちと私たちの健康を守っている。

2019年09月30日
» 続きを読む