ブログ

NPO友愛会のブログです。

 

ブログ一覧

友愛会の支援者への手紙 36

 

ゆるやかな支え合い

友愛ホームには「個室」ではない部屋が数部屋ある。
目線以上の壁で仕切られているけど、しっかりと閉ざされてはいない部屋。
友愛会のすべての宿泊所の中で唯一、友愛ホームの一階だけがそんな部屋になっている。
利用する人の住環境を考えて他はすべて「個室」にしているのに何故なのかと言うと、「個室が駄目な人」もいるからである。
周りの人の声や気配が感じられる、調理場から料理の匂いが香り、トントントンと包丁で野菜を切る音が遠くに聴こえる…。
そんな“耳鼻を邪魔しない気配”が安心と心地よさをもたらすこともあるのである。
わたしはこれを「ゆるやかな支え合い」だと思っている。
はっきりと意思を持って語りかけたり行動したりしている訳ではなくとも、その「存在」が相手に伝わる距離感。
「今日の晩飯はカレーなんだね。この匂い嗅ぐとお腹が鳴るよ」
そんな何気ない言葉は、“匂い”というゆるやかな接点からつながるが故に生まれている。
「横の部屋の人、夜中にコンコン咳してたから心配なんだ」
そんな気づかいもゆるやかな支えとなる。
それが自分でも気づかぬうちに、安心と心地のよさを作っていく。
兎角、私たちは『これが良いに決まっている』という価値観を持ちがちである。
「プライバシーを守るには個室が良い」
確かにそうではあるが、その選択肢しかないのは如何なものであろう。
もし、その人が社会と疎遠となっていて、路上生活を続けてきて、不信感と孤独感の中で暮らしてきたならば…、プライバシーを守るためという理由がプライオリティを持たぬこともあるのではないか。
どれが正しい、どれが良いではなく、どれだけ選択肢を作れるかが大切であろう。
そんな考え方の先に、ゆるやかな支え合いが生まれると思うのである。
個室ではない部屋は、今後も選択肢として残していこうと思う。

2018年07月14日

友愛会の支援者への手紙 35

 

タブー

毎日のようにニュースの話題や新聞紙面に「貧困」という言葉が出てくる。
特にここ2~3年は、「女性の貧困」「こどもの貧困」という言葉が目耳に飛び込んでくる。
「女性の貧困」について気になることは、性産業との接点がほとんどニュースや記事にみられないことである。
もちろん、パブリックな情報提供の場では“タブー”という雰囲気があるのかもしれないが、「女性の貧困」について考えていくのであれば、避けようがないほど関係性があることであろう。
20年以上前になるが、路上生活者支援や生活困窮者支援ということに足を踏み入れたばかりの頃、一人の若い女性の支援相談を受けたのを覚えている。
20代前半のAさんには軽度の知的・発達障がいがあった。
幼い頃に父親は他界し、母は障がいを持ったAさんを育てられず養護施設にあずけた。
18歳になり就労先を見つけ、施設を出て一人暮らしを始めた。
しかし仕事は3ヵ月で辞めてしまった。
職場の同僚によるいじめ、障がい性の不理解は、彼女の耐えられる限界を一瞬にして超えてしまったという。
それから彼女は生きていくために風俗業で働くこととなる。
しかし、客や店に金をだましとられたり、サービス以上の性的折檻を受けたりすることばかりで、風俗業での仕事も出来なくなっていった。
そして私たちが出会った頃にはホームレス生活になっていた。
私たちのところに彼女についての相談を持ちかけてきたのは、女性の高校教師の方だった。
その方は、勤め先の高校の校庭周辺をいつもフラフラしている彼女のことが気になり、ある日仕事を終えて帰る時に声をかけたという。
3~4日食事を摂っていないとのことで、お弁当を買って食べさせながら話を聞いていると、彼女が校庭の周りをウロチョロしている理由が分かったという。
風俗店でも客に相手にされなかった経験などもあり、日銭を稼ぐために高校生相手に1000~2000円で売春を持ちかけていたと彼女は言ったという。
話を聞いて教師は絶句したという。
その後、私たちの方で生活保護の申請を手伝い、彼女はホームレス生活から脱却した。
それから20数年、この仕事の中で女性の生活困窮者の方々とのかかわりは、500名以上になるであろうが、彼女たちの中で性産業とのかかわりがあった方は少なくない。
60代以上の女性でつい最近までそれを少ない収入源にしていたという方やもいた。
何が良い、何が悪いと簡単に結論付けた話はできないが、この“タブー”については蓋を閉じていてはいけない気がする。

2018年07月01日

友愛会の支援者への手紙 34

 

山道を歩くが如く

「ずーっと一人で山道を歩いているような感じだったんだ」
4年ほど前に亡くなったAさんがそんなことを言っていたのを不意に思い出した。
30代はじめに統合失調症の診断がついて、それから入退院を繰り返してきた。
母を早く亡くし、15年ほど前には父が他界した。
それからは、父が残してくれた不動産、古い物件ではあるがアパートの家賃収入と障害年金で生活してきた。
アパートの一室が自分の住処でもあった。
独りになってからの彼の日々は、ご飯を食べに近くの食堂に出かけることと、定期的な通院。
聴こえてくる攻撃的な幻聴は消えず、大声を出して声と闘っても、結局逃げられずに閉じこもる毎日。
そんな中、家に来る人ができたのは、彼にとって救いとなったようだった。
「いつも行ってる食堂で一緒に焼肉定食を食べよう」
「父が集めてた本で好きなのがあったら持って行ってください」
「一緒にCDを買いに行ってくれませんか」
「近所のスーパーで団子を買ってきたんです。食べてほしくて」
幻聴が消えたわけではない。
それでも週に3回顔を出す私との時間が彼の単調な日々を少しずつ変えたのであろう。
「暗い山道を一人で歩いていたんだ。今も山道を歩いている。でもあまり暗くは感じないんだ」
ある出来事がきっかけで調子をひどく崩し、入院となった。
妄想と幻覚が強い中、入院をすすめた私に彼は優しい目で言った。
「退院してきたら、いつもの定食屋にまた食べに行こう」
私は早く退院してきてねと伝えた。
数か月後、Aさんは、入院中に事故で亡くなった…。
事務所の私の机には、彼が貸してくれた”父の本”がある。
約束の定食屋に一人で行って、この本を読みながら焼肉定食を食べた。
一人で食べながら「暗い山道」を想像する。
そして”暗くは感じない”と言ったものが何なのかを考えるのであった。

2018年06月15日

友愛会の支援者への手紙 33

 

アクティング・アウト

精神的な障がい性、とりわけパーソナリティの障がいと思われるような「生きづらさ」を持つ人とのかかわりの中で、往々にして出くわす出来事にアクティング・アウト(行動化)というものがある。
これは、互いの関係性がある程度出来てきたところで、その関係を壊してしまうような言動・行為を、無意識的・衝動的に引き起こしてしまうことをさす言葉である。
具体的に言うのなら、突然攻撃的になったり、拒否的になったり、あるいは自傷行為や自殺企図をしたり…というようなことをするのである。
専門家の中では、どこかで無理がかかっていたり、抑圧してきていたりしたものが基となった無意識的な抵抗ではないのかと考えられている。
このアクティング・アウトに出くわしたときに、その人とかかわってきた人は動揺し、怖くなり、嫌になり、あるいは嫌われたと思うのは当然とも言えるのだが、結果「この人は良くならない」「私には上手くかかわれない」と判断してしまうことが多いのである。
しかしながら、アクティング・アウトはパーソナリティの障がいなどがある人の人間関係の構築過程の中で起こりうる「振り戻し」のようなものなのである。
そういった病理性があるということを考え、再度、その人との関係を振り返り、無理がかかっていたことはなかったのか、ストレスが増加していなかったのかを考え直せるならば、「関係性の破綻」以外の結果が生じるのであろう。
先日も、ある人に対して連携してかかわっていた他機関の援助者が、アクティング・アウトであろう出来事を経験したことで、その人に見切りをつけてしまう出来事があった。
他人の思考や感情を想像することはとても難しい。
それが、自分の思考や感情との接点が少ないと思える人が相手であれば尚更であろう。
たとえ思考や感情が想像できたとしても、それでも関係性を継続していくことへの抵抗感を感じる場合もあるであろうし、職業的立場から考えて関係性を継続できないこともあるかもしれない。
それでも想像することは大切である。
想像することが知ることにつながり、知ることが不安や怖さを緩衝させ、それが相手にも伝わったとき、「生きづらさ」の一端を崩していけるかかわりとなりえるのだと思う。
自分自身にもいつも言い聞かせ自戒していることの一つである。

2018年06月01日

友愛会の支援者への手紙 32

 

言葉にならない

苦難の中にある人ほど他の人の苦難を想える。
15年以上前のことである。
友愛会が活動をはじめてまもない頃、一通の手紙が届いた。
封筒の裏を見ると、「静岡県御殿場市…神山復生病院…病棟…」の字が目に飛び込んできた。
神山復生病院は、およそ120年前に日本で最初にできた民間のハンセン病療養所がその前身である。
1996年、ハンセン病の方々を隔離し続けた「らい予防法」の廃止に伴い、神山復生病院でも「らい病床」は「一般病床」に編入された。
1906年にできた法律「癩予防ニ関スル件」から90年にわたり、この国はハンセン病の方を隔離し、差別し、家族を奪い、子を奪い、名を奪い、人生を奪ってきた。彼らが受けてきたあまりにも酷い仕打ちは筆舌に尽くし難い。
送られてきた手紙はとても短いものだった。
「友愛会の活動を知りました。そして山谷の労働者や路上に生きる人の現状も知りました。少ないですがお役立てください」
わたしは言葉を失った。
封筒には紙幣が数枚入っていた。
いつも思い、いつも言うのだが、私たち友愛会の活動は、とてもつつましく小さな活動である。
それは活動の規模のことだけではない。
知らず知らずのうちに、思いの狭きことや道を誤りそうになること、われを見失うこと、そして人の心を傷つけることもしてしまっている。
そんな自分たちを省み、言葉を失うのである。
私たちは、体も心もあまりにも矮小であると。
だからこそ、できることをできるだけ、思えることを思えるかぎり…と言い聞かせる。
その数枚の紙幣に報いるためにも。

2018年05月20日

友愛会の支援者への手紙 31

 

「本当」とは何か

友愛会の施設で暮らすAさんとBさんはとても仲がよい。
毎日、朝ごはんの後にAさんはBさんの部屋に行き、一緒にテレビを見ながらいつもあれこれ談笑している。
Aさんは肺を患っていて酸素が手放せない人なのだが、Bさんの部屋に酸素ボンベを引きながら行くのである。
一方のBさんは足が不自由な認知症の人である。
読書が好きで、いつもスタッフに頼んで図書館から本を借りてきてもらっている。
笑い話であるが、たまに本が上下逆さまになっているのに読んでいることである。
認知症だからそんな面白いこともしてしまう。
面白いと言えば、仲の良いこの二人の関係にも面白い“いきさつ”がある。
Aさんの方が友愛会での暮らしは少しばかり長く、どちらかと言うと無口な印象の人であった。
テレビに向かってあれこれ批評は言っているが、他の利用者さんたちと談笑する姿はあまり見たことがなかった。
そんなある日、Bさんが入所してきた。
入所してきて間もなくのこと、Bさんの部屋から何やら話声が聞こえてきた。
Bさんのちょっと怒ったような声が聞こえてきたので覗きに行くと、Aさんと話している。

A「俺のこと忘れちゃったの?」
B「しつこいなぁ」
A「前に○○○で一緒にいた…」
B「覚えてない」

その後もAさんは何度となくBさんの部屋に行ってはそんな話を繰り返している。
もともと二人は知り合いだったけど、Bさんは認知症なので忘れてしまったのかもしれないとスタッフは思っていた。
しかし、後になって分かったのだが、どうやらAさんが人違いをしていたのだ。
二人は過去にまったく面識がないとのこと。
それでも毎日のようにAさんはBさんに話しかけているうちに、そんなことは関係なくなってしまった。
いつの間にか昔からの腐れ縁のような掛け合い話をしている。
そんな“いきさつ”を知ったある人が言った。
「本当じゃなかったのに本当になったんですね」
『本当』って何をさすのでしょうね。
友愛会のある山谷地区は日雇労働者の街として長年栄えてきた。
被差別的で下層的なイメージもあるのかもしれないが、片や裸一貫で喰っていける街でもあった。
そんな山谷では、過去を消して偽名で生きている人も少なくなかった。
わたしの山谷の友人たちにもそんな人が多かった。
しかしその名を“偽りの名”とは思ったことがない。
わたしの知っているその人の名は、唯一その名である。
私たちはもしかしたら『本当』と『嘘・偽』という言葉を使う中で、実は大した意味のないこだわりに縛られながら生きていることが多いのかもしれないと思ったりするのである。

2018年05月01日

友愛会の支援者への手紙 30

 

よすが

友愛会の宿泊所にくる人は本当にさまざまである。
認知症の方、知的・発達障がいの方、ガン末期や難病の方、アルコールや薬物依存症の方、統合失調症や他の精神疾患の方、刑期明けの方、妊娠している方、DV被害の方、経済的問題を抱えた方、これらのことが重複している方…etc.
一人ひとりにそれぞれの「生きづらさ」があって、何かしらの縁で友愛会にくることになったのである。
そんな中、ほぼすべての方に言えることは「よすが」がないということ。
「よすが」なんて言葉は最近聞きなれないであろうか。
“身や心を寄せて頼りとするところ(人)”、“頼みとするところ(人)”、“手がかり”、そんな意味合いの言葉である。
親類縁者だけを指す言葉ではない。
友人知人なども含め、頼れる人がいないということ。
金八先生(武田鉄矢さん)の有名なセリフに、「『人』という字は、支え合って…」というのがある。
本当に「よすが」がないということは、「行き場所」だけでなく「生き場所」を失わせる。
私たちは家族になれるわけではない。
友人にもなれるかわからない。
場合によっては良好で安定した関係なんて作れず、関係性が破綻してしまうこともある。
人間関係というのは本当に難しいものである。
でも、友愛会に訪れる方の中で一人でも多くの方の「よすが」にはなりたいとは思うのである。
彼ら自身の暮らしと生を全うする上での小さな“手がかり”になれるならばと思うのである。
そんな友愛会の活動の日々である。

2018年04月20日

友愛会の支援者への手紙 29

 

偶然と必然

対人援助の場面で働く人は誰しも何度も自問自答するであろうこと。
『人を変えることなんてできない』
しかし、そんなことを分かっていながら、相手の変化を期待し、期待にとどまらず変えようとしてしまうのもまた、私たちに多いことである。
往々にして、人が変わるとすれば、それは私たちからみると”偶然の産物”であろう。
Aさんは、アルコール依存症で30代から毎日酒を飲み続け、既に70歳を迎えようとしていた。
山谷地区の労働者として長らくドヤ(簡易旅館)暮らしをしてきたAさんは、50代後半からは慢性疾患を患い、入退院を繰り返し、生活保護での生活となった。
身寄りもなく、不自由な身体で、しかもドヤの3畳にも満たない狭い部屋ですることもない毎日が続く。
唯でさえ酒好きなAさんがお酒に逃げないではいられなかったのは当然とも言えよう。
60代半ばを過ぎて、年齢的にも体力が衰え、酩酊して転倒し、怪我をして救急搬送という話も増えてきた。
そんなある入院中に、Aさんに「友愛会の宿泊所に入ろう。ドヤでの一人暮らしは心配でならないから」と伝えると、以外にもあっさり了承した。
ドヤでの自由気ままな暮らしが良いと拒否するかもと思っていた私は、ちょっと驚いたが、今思えば「寂しさ」の方が彼を苦しめていたのかもしれない。
そんなAさんが友愛会の宿泊所に入所するにあたり、飲酒の問題をどうしようかとスタッフの中には悩んでいた者もいた。
しかし、Aさんは入所後一度も飲酒しなくなった。
ある日Aさんに尋ねると、「飯が旨くてね。酒飲まないでもいいんだよ」と言った。
友愛会の小さな宿泊所は、料理を準備する音や調理中の匂いが自室にいても感じられる。
そういえばAさんは、入所してからずーっと「ご飯を最初に呼んでくれ」と言っていた。
何をしても飲酒が止めれなかったAさんは、素朴ながら温かいご飯とみそ汁、それを調理している雰囲気でお酒を止められたのだ。
これは、偶然である。
私たちが意図して行ったことではない。
人が変わるとすれば、そんな偶然なのかもしれない。
ただ、その偶然と思えることの必然性にも思いを馳せる。
彼にとっては「匂い」と「味」が『安心できる雰囲気』であったのであろう。
私たちはその『安心できる雰囲気』を大事にすることが隠れた意味での必然となると思うのである。偶然を生むための必然を忘れないことが私たちにできることなのだろう。

2018年04月07日

友愛会の支援者への手紙 28

 

やさしさについて

やさしいって何なのでしょう。
十分に言いあてられないが、
「その人のためになるなら…」
「その人の幸せにつながるなら…」
という思いでしょうか。
そうであるならば、これは実に難しい。
思いは伝わることもあれば伝わらないこともある。
そして、思っていなかったのにあるように伝わることもある。
そして、そんな伝わりの間違えの中で、人は憂える。
そういえば、「やさしい」は「優しい」。『人』に『憂』と書く。
“人が憂える”あるいは“憂えに寄り添う”と解釈されているようだ。
友愛会で、色々な人とのかかわりの中で活動していると、“人が憂える”といった解釈にうなずく自分を感じる。
前述した“伝わらないもどかしさ”の中での「憂え」もさることながら、自分自身の「嘆き」や「不安」、「病み」があるからこそ、人のそれらに思いを巡らせるのであろう。
スタッフの中でよく話すことがある。
「自分自身の人生の中で、挫折や後悔、羞恥、理不尽、苦痛、遺恨などがあったからこそ、かかわる人のそれらが想像できる。それら『憂え』と言えるものがその人にどんな思いを抱かせているか想像できるからこそ、今この活動をしているのだろう」…と。
でも、こんな風に哲学しなくてもいいのではないか。
ただやさしくあって、人のやさしさを素直に受けられる、それだけでいいのではないだろうか。
その人に思いをむけることこそが、得体がしれないと思える「やさしさ」そのものだと思う。

2018年03月23日

友愛会の支援者への手紙 27

 

答えなんて…

十数年の活動の間に、数十人の妊婦さんが友愛会の宿泊所を利用された。
ほとんどの方は一人身である。
そしてほとんどの方が出産後母子だけの生活で子育てしていけるのか不安を感じる状態である。
それは、母親が育児をするにはやや重度の精神障がいや発達障がいを抱えていたり、子に対する愛情があまりにも希薄であったり(それまでも何児かを生んでいて育児放棄しているなど)といった状況が重なっているためである。
友愛会を利用する方は身寄りがない方がほとんどである。
つまり身寄りのない母親が子育てをできないならば、その子は誰によって育てられるのか…。
乳児院や養護施設、里親、はたまた育児困難と思える母親が“育てる”こともあるのか。
その子にはどんな将来が待っているのか…。
いつも深い悩みに陥ること。
生む親の側についての我々の整理のつかない思い。
生まれてくる子についての我々の勝手ながら底知れぬ不安と心配。
答えなんてわからないことは、世の中にも、我々の人生にも、山ほどある。
自分たちの「価値観」や「一側面的な正論」どおりになんてなりえないことは、世の中にも、我々の人生にも、山ほどある。
答えなんかわからないことだらけである。
そして、我々の出そうとする答えなんて左程の意味もないのかもしれない。
ただ、その親のことで手伝えることをし、祈るのみである。
ただ、その生まれてくる子が少しでも元気に生まれてこられ、少しでも元気に生きていけるために手伝えることをし、祈るのみである。

2018年03月16日
» 続きを読む