友愛会の支援者への手紙 56
アドヒアランスよりコンコーダンスを
コンプライアンスという言葉はご存知の方も多いと思う。
直訳すると、“要求・指示などに応じること”、“人の願いなどをすぐ受け入れること”といった意味である。
対人援助の領域でもよく使う言葉なのだが、医師などは処方通りに内服できていない患者さんを「コンプライアンスが悪い」と表現したりする。
如何にも、健康管理・疾病管理は医師などの専門家が行うと言わんばかりの表現であって、私などはあまり好きになれない言葉である。
翻って、プライマリヘルスケアやバイオエシックスの概念が少しずつ浸透してきた現在、「自分のことは自分で決めていく(自己決定)」ということを、多くの対人援助職が真剣に考え始めてきている。
そして、インターネットを中心とした情報媒体の発展は、功罪ありながらも当事者自身が「自己決定」をしやすいだけの環境を促しているように思える。
そういった中で、コンプライアンスに代わるものとして「アドヒアランス」という概念が広く用いられはじめている。
直訳すると“忠実”“支持”といった意味である。
転じて対人援助職などは「当事者が治療、療養及び支援方法の決定過程に参加した上で、その方法を自ら実行していくことを目指すもの」といった意味で使われている。
何となく分かると思うが、「アドヒアランス」も「自己決定」とはちょっと違ったニュアンスである。
そんな中で、イギリスを中心により「自己決定」に沿った考え方として「コンコーダンス」という概念が使われはじめてきた。
「当事者と専門職がパートナーシップの基盤に立ち、当事者の“経験”や“信念”を大切にしながら一緒になって意思決定を行い、最終的には専門職の決定よりも当事者の決定を尊重する」というものである。
先日、「言うとおりに薬を飲まないなら他の病院に行けばよいと言われた」と、ある人が私のところに相談しにきた。
よくよく話を聞いていると、そう言い放った医師の思いも想像できる。
その人はあれこれ自分で調べた薬の副作用や周囲の話からのイメージで、処方薬に対する不安が強いのであろう。そのため、その不安を医師に訴えたのであろうが、医師には自分に対する不信感と感じ、少なからず偏った薬の知識に対しても懸念を感じたのであろう。
コンコーダンスの説明で、「…当事者の“経験”や“信念”を大切にしながら…」と書いたが、往々にしてこれが上手くいかないことも多いのであろう。
医療だけのことではなく、広く対人援助職はこの「その人の“経験”や“信念”を大切にする」ことを、より深く真摯に求めていく必要があるのだと思う。