友愛会の支援者への手紙 57
時
“時”とは、待つは遅く、過ぎ去りしは迅し。
“時”とは、辛苦は長く、喜楽は短し。
律をたがえず刻むものでありながら、私たちは同じ“時”を時々のはやさで漕いでいるのであろう。
己の中だけではない。
ある人にとって遅く長い“時”が、私にとって迅く短い“時”であることも、またその逆もある。
彼はいつも待ちわびたと言う。
そして、もう帰るのかと言う。
週に一度の訪問看護の一時に談笑することが、彼にとっては楽しみであることは承知している。
せわしなくバタバタと毎日が過ぎる私にとって瞬く間にやってくる明くる週の訪問看護が、彼にとっては遅く長いものなのかもしれない。
互いに同じく感じるのは、談笑している“時”のはやさであろうか。
「また来週」と手を振る彼と「また来週」と返す私の“時”の不思議を思う。