友愛会の支援者への手紙 48
「とき」は積もりし
年は月の積もり、月は日の積もり、日は時の積もり、時は分の積もり、分は秒の積もり。
「とき」は、大切で、穏やかで、解決の友で、じれったくて、いじらしくて、罪作りで、長くて、短くて、悲しくて、やさしくて、苦しくて、狂暴で…。
それでも常に等しく流れ、調べを違えることはない。
良しにも悪しにも停まることなく、それぞれの人生を積もらせて、それぞれに解釈と結果を与えてくれる。
腰椎の圧迫骨折後、痛みが取れてきたと言って無理に歩き転倒して大腿骨を骨折してしまったAさんは、入院も手術も拒否した。一人暮らしのアパートの中、ベッドで寝たきりの毎日。介護保険を使ってヘルパー、訪問入浴、訪問看護、そして往診で医師がくる。介護度は5なのでサービスはもっとも使える状態だけど、一人暮らしで寝たきりの人の生活を全てフォローするのは正直難しい。そもそも介護保険制度では、このような状態の人は施設で看るように考えられているといってよいであろう。
Aさんは口癖のように、「年寄の私のためにこんなにお金を使わせて、こんなに多くの人に面倒をおかけして…さっさと死んでしまいたい」という。でも、入院も施設への入所もどうしてもしたくないという。
私は、いつもこう答える。「そうだね、明日の朝起きずに…ていうのがいいかもね」と。Aさんは、「そう、眠たまま死ねるのが一番いいのよ」と。
私はつづけて、「でも困ったことに大概はそうコロっとはうまくは死ねないのよ。ならば痛みや苦しいのはない方がいいでしょ。僕はAさんがコロッと死ねるように、それまでは痛みと苦しみをへらす係だね」という。
Aさんは笑顔で答えた後、「あなたくらいね、『早く死ねるといいね』なんて言ってくれるのは。そう、長くは生きたくないわ。私はもう、やって貰うだけの人間で、何も誰にもしてあげることができない人間。生きているだけ余分に金と面倒を掛けるだけ。そこにある小さな観音様にいつも願をかけてるの。早く死ねますようにって」と言う。テレビの上には小さな観音様が大切に置かれていた。
私は「じゃあ、願をかけるなら、僕の健康や他の患者さんたちの健康を祈ってくださいな。だったらある程度時間もかかるでしょ。その間に逝ける日もくるよ」なんていって、二人で笑っていた。
それから2年以上Aさんは生きた。亡くなる少し前に「私が死んだあと小箱に入れてある手紙を見てね」と言われていた。手紙には「願をかけた観音様はあなたがもらって下さい。私が思う以上に長い『とき』を使って願かけできましたよ。やってあげられることを作ってくれてありがとう」と。
Aさんの「とき」が積もった「小さな観音様」は友愛会の事務所で利用者さんたちと私たちの健康を守っている。