友愛会の支援者への手紙 41
そこに居ても良い相手に
友愛会に支援依頼がくる方の中で、12~3年ほど前から少しずつながら若い人が増えている。
まだ若い年頃に友愛会のような支援が必要な状況にたどり着いてしまうことには何とも言えない複雑な感情を持ち合わせてしまう。
10~30代の若い人たちの特徴は、背景にある精神障がいや知的・発達障がいが多いこともさることながら、刹那的で破滅的であることだと感じる。
刹那的や破滅的なことは全て障がいからくるものばかりではなく、障がいや他の生きづらさを抱えて生活している中で、偏見がある、または理解の低い周囲との人間関係によって持ち得てしまうことがほとんどだと思う。
例えば、家や施設を飛び出し、行きずりで暴力的な相手と同棲を始めてしまう…。
あるいは、薬物や売春といったことに不用意に手を出してしまう…。
反するように、生活感がなく自らの存在自体を希薄にしようとしているような側面も感じられる。
彼らの多くは家庭のイメージや思い出を明確に持てないでいることが多いのだが、これは本人や家庭だけの問題ではなく、地域社会の変容や時代の変化にもその要因はあるのであろう。
感じようによっては重苦しく閉塞的な雰囲気を纏うであろう彼ら世代の幼少期や思春期、そこに背景としての障がい性が重なる…。
彼らに対するかかわりは悩ましいことが多い。
彼らにとって人間関係自体が億劫で懐疑的で怨念的なものであるということは、伝えたいことや考えて欲しいことを持ち出す前に、“そこに居ても良い相手”になりえることが大切である。
それも彼らに距離感が上手く伝わらなければ、親や恋人のような役割を強く求められて、その可否によってやはり懐疑と怨念を増長させてしまうことになる。
やはり、当たり前ながら「待つ」「置く」「ゆっくり」「繰り返し」といったかかわりが本当に大切なのだと改めて思うのである。