友愛会の支援者への手紙 39
「福祉」と言われているもののあり方
友愛会の活動開始以来、色々とお世話になっている商店がある。
ディスカウントストアと看板を挙げているのだが、所謂何でも屋とでも言えばよいであろうか。
おやじさんは浅草下町の江戸っ子気質で祭り大好きな方。
おかみさんは気さくで面倒見のよい太っ腹おばちゃん。
友愛会が宿泊所を新しく開所するときなどは、この商店でテレビやベット、冷蔵庫などを購入し、利用者の方が自立してアパートに引っ越すときなんかも色々安いものを用意してくれたりと、友愛会の活動を影で支えてくれている商店である。
この商店は山谷地区にある商店街の中で店を構えているのだが、生活保護を受けているおじさんたちや、日雇労働のおじさんたちとも顔見知りが多く、友愛会の宿泊所を出て自立生活している方たちなんかもちょくちょく買い物に顔を出しているので店の中でばったり会うなんてことも多い。
そんなときは、お茶が出てきて店の中で長々おしゃべり。
いつも商売の方は大丈夫?って思うくらい大らかなのである。
この商店がすごいなぁーと思うのは、おやじさんとおかみさんが、彼ら山谷の住人の相談にのってあげたりもしていることである。
ちょっとした電気工事もしたり、お金を使いすぎてしまう人が使いすぎないように金銭管理をお願いされたらしちゃったり…、まさに「何でも屋」でなのである。
この商店にはいつも考えさせられる。
「福祉」と言われているもののあり方とは何だろうと。
私たち「福祉」に携わる者は、いろいろな理屈というか“屁”理屈を考える。
しかし、本来は人と人との関係の中で生じるちょっとした「世話」でよいのではないかと思うのである。
先日も入院して「家」に戻ってこられそうにないおじさんの“ごみ屋敷”の掃除を買って出てくれた。
お礼もかねて店に顔を出しに行くと、おかみさんが小一時間語りつくす。
「あの部屋はごみ屋敷どころの騒ぎじゃないじゃない」「あんたの依頼はいつも大変」と文句を言いながらも、それでいて笑いながら「また何かあったらいつでも言って。手伝うから」と。
私たちの活動は彼らの足元にも及ばないと思うのである。