友愛会の支援者への手紙 31
「本当」とは何か
友愛会の施設で暮らすAさんとBさんはとても仲がよい。
毎日、朝ごはんの後にAさんはBさんの部屋に行き、一緒にテレビを見ながらいつもあれこれ談笑している。
Aさんは肺を患っていて酸素が手放せない人なのだが、Bさんの部屋に酸素ボンベを引きながら行くのである。
一方のBさんは足が不自由な認知症の人である。
読書が好きで、いつもスタッフに頼んで図書館から本を借りてきてもらっている。
笑い話であるが、たまに本が上下逆さまになっているのに読んでいることである。
認知症だからそんな面白いこともしてしまう。
面白いと言えば、仲の良いこの二人の関係にも面白い“いきさつ”がある。
Aさんの方が友愛会での暮らしは少しばかり長く、どちらかと言うと無口な印象の人であった。
テレビに向かってあれこれ批評は言っているが、他の利用者さんたちと談笑する姿はあまり見たことがなかった。
そんなある日、Bさんが入所してきた。
入所してきて間もなくのこと、Bさんの部屋から何やら話声が聞こえてきた。
Bさんのちょっと怒ったような声が聞こえてきたので覗きに行くと、Aさんと話している。
…
A「俺のこと忘れちゃったの?」
B「しつこいなぁ」
A「前に○○○で一緒にいた…」
B「覚えてない」
…
その後もAさんは何度となくBさんの部屋に行ってはそんな話を繰り返している。
もともと二人は知り合いだったけど、Bさんは認知症なので忘れてしまったのかもしれないとスタッフは思っていた。
しかし、後になって分かったのだが、どうやらAさんが人違いをしていたのだ。
二人は過去にまったく面識がないとのこと。
それでも毎日のようにAさんはBさんに話しかけているうちに、そんなことは関係なくなってしまった。
いつの間にか昔からの腐れ縁のような掛け合い話をしている。
そんな“いきさつ”を知ったある人が言った。
「本当じゃなかったのに本当になったんですね」
『本当』って何をさすのでしょうね。
友愛会のある山谷地区は日雇労働者の街として長年栄えてきた。
被差別的で下層的なイメージもあるのかもしれないが、片や裸一貫で喰っていける街でもあった。
そんな山谷では、過去を消して偽名で生きている人も少なくなかった。
わたしの山谷の友人たちにもそんな人が多かった。
しかしその名を“偽りの名”とは思ったことがない。
わたしの知っているその人の名は、唯一その名である。
私たちはもしかしたら『本当』と『嘘・偽』という言葉を使う中で、実は大した意味のないこだわりに縛られながら生きていることが多いのかもしれないと思ったりするのである。