友愛会の支援者への手紙 29
偶然と必然
対人援助の場面で働く人は誰しも何度も自問自答するであろうこと。
『人を変えることなんてできない』
しかし、そんなことを分かっていながら、相手の変化を期待し、期待にとどまらず変えようとしてしまうのもまた、私たちに多いことである。
往々にして、人が変わるとすれば、それは私たちからみると”偶然の産物”であろう。
Aさんは、アルコール依存症で30代から毎日酒を飲み続け、既に70歳を迎えようとしていた。
山谷地区の労働者として長らくドヤ(簡易旅館)暮らしをしてきたAさんは、50代後半からは慢性疾患を患い、入退院を繰り返し、生活保護での生活となった。
身寄りもなく、不自由な身体で、しかもドヤの3畳にも満たない狭い部屋ですることもない毎日が続く。
唯でさえ酒好きなAさんがお酒に逃げないではいられなかったのは当然とも言えよう。
60代半ばを過ぎて、年齢的にも体力が衰え、酩酊して転倒し、怪我をして救急搬送という話も増えてきた。
そんなある入院中に、Aさんに「友愛会の宿泊所に入ろう。ドヤでの一人暮らしは心配でならないから」と伝えると、以外にもあっさり了承した。
ドヤでの自由気ままな暮らしが良いと拒否するかもと思っていた私は、ちょっと驚いたが、今思えば「寂しさ」の方が彼を苦しめていたのかもしれない。
そんなAさんが友愛会の宿泊所に入所するにあたり、飲酒の問題をどうしようかとスタッフの中には悩んでいた者もいた。
しかし、Aさんは入所後一度も飲酒しなくなった。
ある日Aさんに尋ねると、「飯が旨くてね。酒飲まないでもいいんだよ」と言った。
友愛会の小さな宿泊所は、料理を準備する音や調理中の匂いが自室にいても感じられる。
そういえばAさんは、入所してからずーっと「ご飯を最初に呼んでくれ」と言っていた。
何をしても飲酒が止めれなかったAさんは、素朴ながら温かいご飯とみそ汁、それを調理している雰囲気でお酒を止められたのだ。
これは、偶然である。
私たちが意図して行ったことではない。
人が変わるとすれば、そんな偶然なのかもしれない。
ただ、その偶然と思えることの必然性にも思いを馳せる。
彼にとっては「匂い」と「味」が『安心できる雰囲気』であったのであろう。
私たちはその『安心できる雰囲気』を大事にすることが隠れた意味での必然となると思うのである。偶然を生むための必然を忘れないことが私たちにできることなのだろう。