友愛会の支援者への手紙 28

 

やさしさについて

やさしいって何なのでしょう。
十分に言いあてられないが、
「その人のためになるなら…」
「その人の幸せにつながるなら…」
という思いでしょうか。
そうであるならば、これは実に難しい。
思いは伝わることもあれば伝わらないこともある。
そして、思っていなかったのにあるように伝わることもある。
そして、そんな伝わりの間違えの中で、人は憂える。
そういえば、「やさしい」は「優しい」。『人』に『憂』と書く。
“人が憂える”あるいは“憂えに寄り添う”と解釈されているようだ。
友愛会で、色々な人とのかかわりの中で活動していると、“人が憂える”といった解釈にうなずく自分を感じる。
前述した“伝わらないもどかしさ”の中での「憂え」もさることながら、自分自身の「嘆き」や「不安」、「病み」があるからこそ、人のそれらに思いを巡らせるのであろう。
スタッフの中でよく話すことがある。
「自分自身の人生の中で、挫折や後悔、羞恥、理不尽、苦痛、遺恨などがあったからこそ、かかわる人のそれらが想像できる。それら『憂え』と言えるものがその人にどんな思いを抱かせているか想像できるからこそ、今この活動をしているのだろう」…と。
でも、こんな風に哲学しなくてもいいのではないか。
ただやさしくあって、人のやさしさを素直に受けられる、それだけでいいのではないだろうか。
その人に思いをむけることこそが、得体がしれないと思える「やさしさ」そのものだと思う。

2018年03月23日