友愛会の支援者への手紙 24

 

柔らかくありたい

多分、『知恵』とは柔らかな思考の産物なんだと思う。
そこには“絶対”という言葉は存在しない。
自分の知っている『知識』の中だけに「正解」や「正しさ」、「正義」といったものがつねにあるなんて言う“絶対”はないとおもうのである。
頑なにならず、柔らかくありたいものである。
そこに、もちろん“絶対”ではないであろうが、“より”正しい方へと歩んでいける『知恵』が生まれてくると思う。
それは「正しいものは一つしかない」のか「正しいものは一つじゃない」のかと言った疑問の解ではない。
そんなことは私には分かり得ないものである。
一つであったとしても、複数であったとしても、今の自分たちが、我々人間が、そこで言うところの「正しい」を知り得ているとは思えない。
だからこそ、柔らかくありたいものである。
先日、そんなことをあるスタッフと話していた。
対人援助の仕事なんてしていると、どうしても「正しい」とか「間違ってる」なんて振り分けをしてしまいがちになる。
続けて出てくる言葉は大抵「だって~だから」というもの。
そんな理由づけの中身は、誰かが言っていたものであったり、どこぞに書いてあったもの、そして以前経験した出来事…。
それは知識であって、目の前のことに対して生み出した知恵の産物ではないものである。
そして、そんな振り分けは、いつも後ろめたさと後悔を引き寄せてくるもの。
そんなことを思うこの頃である。

2018年02月24日