友愛会の支援者への手紙 23

 

「自立支援」について

このところ医療・介護・福祉などの支援現場において、声高に「自立支援」とうたわれている。
何でもかんでも至れり尽くせりの手助けは良くない。
その人が出来ることが損なわれないようにする。
そういった意味合いで広く使われているのであろう。
医療や介護においては、とりわけADL(日常生活動作:食べる、移動する、排泄する、整容を整える、入浴するといった活動)の自立度と併せて使われる言葉である。
福祉の領域、特にホームレス支援や障がい者支援、生活困窮者支援においては、経済的自立(就労支援など)や衣食住の自立(独居生活・世帯生活の支援)と併せて使われることが多い。
どれも大切なことである。
ただ、支援者の“さが”なのか、「早くしなくては」と考える支援者が多いため、支援・援助の過程で必要以上に先回りしたり、急かしたりしてしまう状況が少なくないと思える。
自立支援と言うならば、ゆっくりであっても、たとえ充分な状況でないにしても、その人自身がやっていくことが大切であり、支援者は「相談者」であり「伴走者」であるべきなのだと思う。
しかし、かたや自立支援という言葉を引用して、「ほったらかし」のような状況を作ったり、その人が本当にできないことまで求めたり、そして、ともすれば支援の仕方が分からない時の言い訳にしてしまっているような状況も少なくはないと感じる。
「相談者」、「伴走者」だけでなく、「理解者」でもあるべきなのだと思う。
ちよっとここで昔話をしたい。
鎌倉時代、忍性という律宗の僧がいた。鎌倉にある極楽寺の開僧である。
忍性は、「社会福祉活動の先駆者」と言われることもある。
彼は鎌倉に建立した療病施設「桑谷療病所」で、当時差別を受けていたハンセン病者や身体・精神・知的障がい者、その他の病者の救済・療養にあたった。
20年間で57,000人以上の救済・療養にあたったと伝えられている。
忍性にまつわる話の中で、自立支援のあり方を考えさせられる話がある。
彼は、ハンセン病のため歩けなくなった奈良坂(奈良の街はずれ)の男を、毎日毎日、奈良の市まで背負って送り迎えし、その男が乞食での生計が成り立つように奔走したという。

友愛会で色々な人とかかわり、その人たち一人一人の「自立」を一緒に考える中で、いつも思うのは、「待つこと」と「頑なにならないこと」である。どれだけ時間がかかっても、どんなに変化しても、その人が考えて行動することこそが「自立」でありそれを手助けすることが「自立支援」だと思う。
もちろん、その考えさえも頑なにならないようにせねばである。

2018年02月16日