友愛会の支援者への手紙 20
大人の軽度知的障がいと発達障がい
昨今、大人の軽度知的障がいや発達障がいが取り立たされている。
そして彼らのうち少なくはない人たちが、生活困窮に陥っていることが多い。
4~5年前には、路上生活者の多くに軽度の知的障がいや発達障がいがあるというデータも発表された。
生活困窮に陥る彼らの多くは、就学期の不登校などを起点に、引き籠りがちな生活を送ることが多いようだ。結果、もともと障がい上苦手な人間関係や社会適応性に、より支障が出ることも考えられる。収入が少なかったりなかったりしても、親と暮らしている間は生活していけるが、親が亡くなったり、関係が悪化し離れることになると、嫌が応にも社会へと出ていかなくてはならなくなる。若年であれば児童福祉でのフォローも出来るが、それが成人になってからであれば…。
複雑で流れのはやい社会に放り出され、仕事に就いたとしても、色々なことで手こずる。身近に「障がい性への良き理解者」がいないければ、人間関係も仕事もが上手くいかず、不信感と劣等感に覆われていく。受け入れてくれない社会への思いが「障がい性とは別の生きづらさ」を育ててしまったり、自暴自棄がより自己管理を難しくさせたりしてしまう。そんな人たちの一部が、友愛会へと繋がってくるのである。
Aさんもそんな一人であろう。仕事に就いても長続きしない。理由は一見些細なことである。一度注意されると怖い人がいるからと、ちょっと仕事が増えるときついからといった理由である。あるいは、給料を貰ったらすぐに遊びに使ってしまったり、自分で金銭管理が出来なくて友愛会に預けても、嘘をついて風俗に行ってしまい、怒られるのが怖くて失踪(プチ家出)をしてしまう。戻ってきてもまた嘘の説明をして、そしてまた同じようなことを繰り返す。
これらの「障がい性とは別の生きづらさ」は、彼らのそれまでの人生と経験から生まれた不信感と劣等感によって作られているところが多いと思うのだが、それは理解されにくい。たとえ一定の理解がもてたとしても、彼らの態度と言動に、関わる側の感情も怒りや諦めと言ったものに覆われていくことが多いのも否定できない。
だからこそ、まずは障がいに対する正しい理解を願うのである。
そして、彼らに対して「ダメ」だとレッテルを貼るのではなく、彼らに届くコミュニケーションを投げかけることへの理解を願うのである。
友愛会もそんな心がけの中で日々の活動を続けている。