友愛会の支援者への手紙 15
「業」、「宿命」、「運」
往々にして人生には、理不尽であったり不条理であったりすることが突然起こるものである。
たとえば、自然災害に見舞われることもある。
交通事故の被害にあうことも、加害者になってしまうこともある。
病気に侵されることも、障がいに見舞われることもある。
話の行き違いや勘違いで、人間関係が壊れることもある。
抗えないほどの権力に屈服させられることもある。
どんなに気を使っていても、本人に落ち度がなくても、他の人には起こらなくても、何故か自分自身に降りかかることがある。
私たち人間は、それを「業」、「宿命」、「運」という言葉と共に受け入れる方法を見つけた。確かに、何(誰)かを恨んだり、何(誰)かの所為(せい)にしても、自分に起こった出来事が消えないのであれば、「業」、「宿命」、「運」という捉え方は、ある意味、私たち人間を慰めるものである。私たちの日頃の活動の中では、こういった言葉を耳にすることが多い。
簡単に「頑張れ」と励ませるわけがない。ありきたりに「そんな『業』なんて、あなたにはない」なんて言えるものではない。そんな「業」、「宿命」、「運」と捉える他ないような忌まわしい出来事が起きたとしても、それによって死に見舞われない限り、人生は続いていく。そして私たちが友愛会で彼らと出会うときは、そんな出来事が起きた後の人生である。
私がいつも思うのは、自分の所為でないことまで自分の所為と思う他に、心の収めようがなかった事への切なさである。理不尽であり不条理であることは、決してその人の所為で起きたものではない。それでも、それ以外に出せる答えがない時に、自分に矛先を向けることしかできなくなる、そんな状況が切なくてならない。
もう私とは長い付き合いになるAさんの話である。
Aさんは10代の頃、あるスポーツの選手を目指して厳しい練習の日々を過ごしていた。体重を増やせない種目のため過度な食事制限をし、結果、体調を崩してあきらめることになった。地元を離れ上京し、調理の道に入る。40代の頃には小さな飲食店を任されるまでになっていた。
ある時、オーナーから2か月ほど給料の払いを待ってくれと言われ、「ギャンブル好きのオーナーのことだからこの店も危ない」とは感じながらも、店舗の二階に住んでいたこともあり、すぐに辞められない状況でいた。2ヵ月が経った頃、オーナーが失踪したとの話が耳に入ってきた。翌日から、店にはサラ金だの闇金だのが取り立てきて、一週間も経たない間に店舗ごと差し押さえられた。幾ばくか貯蓄していたお金を帰郷すると言う店の若い衆に分け、残ったお金を崩しながら仕事を探すも、時はバブル崩壊後の世の中。見つからず、財布の底もついて路上生活となった。それでも日雇いの仕事を探し、日雇労働者の中でも嫌がるようなきつい現場にも就いた。どんな仕事かというと、ゴミ処理施設の焼却炉内や煙突内の清掃業務である。清掃時には前日などに火を落すだが、夏季にいたってはほとんど冷えずに70~80℃の中での作業となる。15分作業して30分外で休む、そんな繰り返しである。飲水量は5~10Lにもなったと言う。しかも、ダイオキシンの中での作業である。誰もが嫌がるわけである。
彼は2~3年で50万のお金を貯めた。路上生活を始めた頃からの付き合いであった友愛会に来て、アパートの保証人になってほしいと言う。もちろん私は引き受けた。健康を害するほどの彼の努力は、ホームレスの脱却という一つの結果に行きついた。だが、代償として差し出した彼の身体はもう限界が近かった。目は悪くなり、椎間板ヘルニアを患い、狭心症も患ってしまった。そんな折、日雇で働いていた会社が倒産する。きつい仕事ながらある程度安定していた収入を失い、また路上生活になる。それでもAさんは、満身創痍の体に鞭を打ち、一年後には再びアパートに入居できるだけのお金を貯めた。それが彼の身体の限界だった。寝込むことが増え、仕事も出来なくなり、三度、路上生活になる。それまでも事あるごと生活保護を受けるようにすすめていたが、Aさんの返答は、「これは自分の宿命だよ。すべて自分が招いた結果。国の世話になっては罰が当たる」。私は、何度考えてもAさんの生活歴の中で、彼の大きな落ち度を見つけられなかった。
路上生活の中、狭心発作が頻回に起きるようになったAさんに、医療機関に受診するためにも生活保護を受けてほしいと何度も説得し、渋々彼は生活保護を受けるようになった。今でも彼は、「ありがたかったよ。あの時、福祉事務所に連れて行ってくれたから今も生きていられる。でも、国のお世話になって俺なんかが生きていていいのかね」と言うことがある。やはり切なくなる。
なけなしの生活保護費の中、「飯をおごるよ」と、彼はよく私を食事に誘う。私は敢えておごってもらうようにしている。「俺の金じゃないけどね」と付け加えながらも、「生まれかわっても、同じ人生を歩むことになっても、また出会って飯が食える仲でいたいな」と言うAさんの笑顔に、「業」や「宿命」、「運」の中に、少しでも「善業」、「良い宿命」、「幸運」を共に見つけていきたいと思うのである。