友愛会の支援者への手紙 14
自分らしさ、その人らしさ
語弊があることを承知で表現すると、友愛会がかかわる方には、それまで人間関係も生活も健康もぐちゃぐちゃにしてしまってきた人が多い。もちろん理由は様々である。誰かに裏切られたり、誰かに捨てられたり、病気や障がいに見舞われたり、運がないとしかいい様がなかったり、あるいは本人が自分で招いたり、などなど。
私がこの仕事を始めた頃に会った白髪の老女Aさんもそんなぐちゃぐちゃな状態であった。
彼女は20代の頃、親の知り合いから持ちかけられた見合いで結婚をした。夫になった人は実直で優しく、一人息子で家業を継いでよく働き、よい結婚生活だったと彼女は振り返っていた。しかし、結婚して3年ほど経った時、彼女は奈落に突き落とされた。最愛の夫が若くして病死したのである。彼女は実家に戻ろうとも考えたが、一度嫁いだのだからと実家には戻らず、その家で義父母と暮らし始めた。
息子を亡くしたためか義父母はそれまでとはうってかわりAさんに冷たくあたったと彼女は言う。夫との間には子宝にも恵まれていなかったため、なお一層肩身が狭かったと。そして終には辛くなってついには家を飛び出した。実家にも帰れず、ある温泉街の旅館で仲居として働き始めた。今まで働いた経験は経理事務の仕事くらいだったらしく、へまばかりをしていたとのこと。トロイせいで周囲からもいじめられていたが、そんな折、常連のお客さん(小さな会社の社長さんとのこと)が経理の出来る人を探していると言って、彼女に声をかけてきた。ついて行ったはいいが、本人曰く、経理の仕事よりも愛人というか妾のような日々を過ごすことになったらしい。ほとほと嫌になり、実家に帰ったAさんだったが、1年も経たないうちにふしだらな女だったとの噂が起きた。田舎の噂は怖いもので、結局また実家を出る羽目になってしまった。それからは浪々の生活。その後の詳しいことをAさんは語らなかった。
そんなAさんは、自分らしさがわからないと言っていた。人を信じられなくなり、自分がどうしたいのかもなく、周りを警戒して、へつらったり、ごま擂ったり、だましたり、ただその時その時を彼女なりに自分を守って生きてきたからと言う。実際、Aさんは、友愛会に来てからも、周りの利用者さんに嘘をついてお金を借りたり、仲の悪い人たちがいたら強そうな人の側についたり。そして、結局周りの人から無視されてしまう。困ったことに、それを知って声をかけるスタッフをもだましたり。くじけないところは見上げたものである。
自分らしさって何なんでしょうね。多分、周囲の人は、Aさんのそんな姿をAさんらしさと思っていたのでしょう。でも彼女自身は、もちろんそうとは思っていない。自分自身が、というか自分らしさが分からないでいた。そして「自分らしさ」を求めていたようでもあった。一度だけAさんが先ほどの身の上話をしたときだが、吐露したことがある。「好きでこんな人生歩んできたわけじゃないのにねぇ。でも私の人生なんだよね。このまま死んだらこんな生き方が『私らしい』って言われるのかね」。
「らしさ」は自分で思うものなのか?周りの人が思うものなのか?周りが勝手に「その人らしい」と思うのは、得てしてその人が思う「自分らしい」と重ならないものなのでしょう。当たり前だが、人の心の中なんて分からないもの。それでも人は、「~らしい」と他人をみる。それがあたかもその人をあらわすように。気をつけなくてはと自戒する。
その後、老人ホームへ移っていったAさんは、健康的にもぐちゃぐちゃでしたから、もう他界したかもしれません。彼女が思う「自分らしい」生き方はできたであろうか。