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友愛会の支援者への手紙 32

 

言葉にならない

苦難の中にある人ほど他の人の苦難を想える。
15年以上前のことである。
友愛会が活動をはじめてまもない頃、一通の手紙が届いた。
封筒の裏を見ると、「静岡県御殿場市…神山復生病院…病棟…」の字が目に飛び込んできた。
神山復生病院は、およそ120年前に日本で最初にできた民間のハンセン病療養所がその前身である。
1996年、ハンセン病の方々を隔離し続けた「らい予防法」の廃止に伴い、神山復生病院でも「らい病床」は「一般病床」に編入された。
1906年にできた法律「癩予防ニ関スル件」から90年にわたり、この国はハンセン病の方を隔離し、差別し、家族を奪い、子を奪い、名を奪い、人生を奪ってきた。彼らが受けてきたあまりにも酷い仕打ちは筆舌に尽くし難い。
送られてきた手紙はとても短いものだった。
「友愛会の活動を知りました。そして山谷の労働者や路上に生きる人の現状も知りました。少ないですがお役立てください」
わたしは言葉を失った。
封筒には紙幣が数枚入っていた。
いつも思い、いつも言うのだが、私たち友愛会の活動は、とてもつつましく小さな活動である。
それは活動の規模のことだけではない。
知らず知らずのうちに、思いの狭きことや道を誤りそうになること、われを見失うこと、そして人の心を傷つけることもしてしまっている。
そんな自分たちを省み、言葉を失うのである。
私たちは、体も心もあまりにも矮小であると。
だからこそ、できることをできるだけ、思えることを思えるかぎり…と言い聞かせる。
その数枚の紙幣に報いるためにも。

2018年05月20日

友愛会の支援者への手紙 31

 

「本当」とは何か

友愛会の施設で暮らすAさんとBさんはとても仲がよい。
毎日、朝ごはんの後にAさんはBさんの部屋に行き、一緒にテレビを見ながらいつもあれこれ談笑している。
Aさんは肺を患っていて酸素が手放せない人なのだが、Bさんの部屋に酸素ボンベを引きながら行くのである。
一方のBさんは足が不自由な認知症の人である。
読書が好きで、いつもスタッフに頼んで図書館から本を借りてきてもらっている。
笑い話であるが、たまに本が上下逆さまになっているのに読んでいることである。
認知症だからそんな面白いこともしてしまう。
面白いと言えば、仲の良いこの二人の関係にも面白い“いきさつ”がある。
Aさんの方が友愛会での暮らしは少しばかり長く、どちらかと言うと無口な印象の人であった。
テレビに向かってあれこれ批評は言っているが、他の利用者さんたちと談笑する姿はあまり見たことがなかった。
そんなある日、Bさんが入所してきた。
入所してきて間もなくのこと、Bさんの部屋から何やら話声が聞こえてきた。
Bさんのちょっと怒ったような声が聞こえてきたので覗きに行くと、Aさんと話している。

A「俺のこと忘れちゃったの?」
B「しつこいなぁ」
A「前に○○○で一緒にいた…」
B「覚えてない」

その後もAさんは何度となくBさんの部屋に行ってはそんな話を繰り返している。
もともと二人は知り合いだったけど、Bさんは認知症なので忘れてしまったのかもしれないとスタッフは思っていた。
しかし、後になって分かったのだが、どうやらAさんが人違いをしていたのだ。
二人は過去にまったく面識がないとのこと。
それでも毎日のようにAさんはBさんに話しかけているうちに、そんなことは関係なくなってしまった。
いつの間にか昔からの腐れ縁のような掛け合い話をしている。
そんな“いきさつ”を知ったある人が言った。
「本当じゃなかったのに本当になったんですね」
『本当』って何をさすのでしょうね。
友愛会のある山谷地区は日雇労働者の街として長年栄えてきた。
被差別的で下層的なイメージもあるのかもしれないが、片や裸一貫で喰っていける街でもあった。
そんな山谷では、過去を消して偽名で生きている人も少なくなかった。
わたしの山谷の友人たちにもそんな人が多かった。
しかしその名を“偽りの名”とは思ったことがない。
わたしの知っているその人の名は、唯一その名である。
私たちはもしかしたら『本当』と『嘘・偽』という言葉を使う中で、実は大した意味のないこだわりに縛られながら生きていることが多いのかもしれないと思ったりするのである。

2018年05月01日

友愛会の支援者への手紙 30

 

よすが

友愛会の宿泊所にくる人は本当にさまざまである。
認知症の方、知的・発達障がいの方、ガン末期や難病の方、アルコールや薬物依存症の方、統合失調症や他の精神疾患の方、刑期明けの方、妊娠している方、DV被害の方、経済的問題を抱えた方、これらのことが重複している方…etc.
一人ひとりにそれぞれの「生きづらさ」があって、何かしらの縁で友愛会にくることになったのである。
そんな中、ほぼすべての方に言えることは「よすが」がないということ。
「よすが」なんて言葉は最近聞きなれないであろうか。
“身や心を寄せて頼りとするところ(人)”、“頼みとするところ(人)”、“手がかり”、そんな意味合いの言葉である。
親類縁者だけを指す言葉ではない。
友人知人なども含め、頼れる人がいないということ。
金八先生(武田鉄矢さん)の有名なセリフに、「『人』という字は、支え合って…」というのがある。
本当に「よすが」がないということは、「行き場所」だけでなく「生き場所」を失わせる。
私たちは家族になれるわけではない。
友人にもなれるかわからない。
場合によっては良好で安定した関係なんて作れず、関係性が破綻してしまうこともある。
人間関係というのは本当に難しいものである。
でも、友愛会に訪れる方の中で一人でも多くの方の「よすが」にはなりたいとは思うのである。
彼ら自身の暮らしと生を全うする上での小さな“手がかり”になれるならばと思うのである。
そんな友愛会の活動の日々である。

2018年04月20日

友愛会の支援者への手紙 29

 

偶然と必然

対人援助の場面で働く人は誰しも何度も自問自答するであろうこと。
『人を変えることなんてできない』
しかし、そんなことを分かっていながら、相手の変化を期待し、期待にとどまらず変えようとしてしまうのもまた、私たちに多いことである。
往々にして、人が変わるとすれば、それは私たちからみると”偶然の産物”であろう。
Aさんは、アルコール依存症で30代から毎日酒を飲み続け、既に70歳を迎えようとしていた。
山谷地区の労働者として長らくドヤ(簡易旅館)暮らしをしてきたAさんは、50代後半からは慢性疾患を患い、入退院を繰り返し、生活保護での生活となった。
身寄りもなく、不自由な身体で、しかもドヤの3畳にも満たない狭い部屋ですることもない毎日が続く。
唯でさえ酒好きなAさんがお酒に逃げないではいられなかったのは当然とも言えよう。
60代半ばを過ぎて、年齢的にも体力が衰え、酩酊して転倒し、怪我をして救急搬送という話も増えてきた。
そんなある入院中に、Aさんに「友愛会の宿泊所に入ろう。ドヤでの一人暮らしは心配でならないから」と伝えると、以外にもあっさり了承した。
ドヤでの自由気ままな暮らしが良いと拒否するかもと思っていた私は、ちょっと驚いたが、今思えば「寂しさ」の方が彼を苦しめていたのかもしれない。
そんなAさんが友愛会の宿泊所に入所するにあたり、飲酒の問題をどうしようかとスタッフの中には悩んでいた者もいた。
しかし、Aさんは入所後一度も飲酒しなくなった。
ある日Aさんに尋ねると、「飯が旨くてね。酒飲まないでもいいんだよ」と言った。
友愛会の小さな宿泊所は、料理を準備する音や調理中の匂いが自室にいても感じられる。
そういえばAさんは、入所してからずーっと「ご飯を最初に呼んでくれ」と言っていた。
何をしても飲酒が止めれなかったAさんは、素朴ながら温かいご飯とみそ汁、それを調理している雰囲気でお酒を止められたのだ。
これは、偶然である。
私たちが意図して行ったことではない。
人が変わるとすれば、そんな偶然なのかもしれない。
ただ、その偶然と思えることの必然性にも思いを馳せる。
彼にとっては「匂い」と「味」が『安心できる雰囲気』であったのであろう。
私たちはその『安心できる雰囲気』を大事にすることが隠れた意味での必然となると思うのである。偶然を生むための必然を忘れないことが私たちにできることなのだろう。

2018年04月07日

友愛会の支援者への手紙 28

 

やさしさについて

やさしいって何なのでしょう。
十分に言いあてられないが、
「その人のためになるなら…」
「その人の幸せにつながるなら…」
という思いでしょうか。
そうであるならば、これは実に難しい。
思いは伝わることもあれば伝わらないこともある。
そして、思っていなかったのにあるように伝わることもある。
そして、そんな伝わりの間違えの中で、人は憂える。
そういえば、「やさしい」は「優しい」。『人』に『憂』と書く。
“人が憂える”あるいは“憂えに寄り添う”と解釈されているようだ。
友愛会で、色々な人とのかかわりの中で活動していると、“人が憂える”といった解釈にうなずく自分を感じる。
前述した“伝わらないもどかしさ”の中での「憂え」もさることながら、自分自身の「嘆き」や「不安」、「病み」があるからこそ、人のそれらに思いを巡らせるのであろう。
スタッフの中でよく話すことがある。
「自分自身の人生の中で、挫折や後悔、羞恥、理不尽、苦痛、遺恨などがあったからこそ、かかわる人のそれらが想像できる。それら『憂え』と言えるものがその人にどんな思いを抱かせているか想像できるからこそ、今この活動をしているのだろう」…と。
でも、こんな風に哲学しなくてもいいのではないか。
ただやさしくあって、人のやさしさを素直に受けられる、それだけでいいのではないだろうか。
その人に思いをむけることこそが、得体がしれないと思える「やさしさ」そのものだと思う。

2018年03月23日

友愛会の支援者への手紙 27

 

答えなんて…

十数年の活動の間に、数十人の妊婦さんが友愛会の宿泊所を利用された。
ほとんどの方は一人身である。
そしてほとんどの方が出産後母子だけの生活で子育てしていけるのか不安を感じる状態である。
それは、母親が育児をするにはやや重度の精神障がいや発達障がいを抱えていたり、子に対する愛情があまりにも希薄であったり(それまでも何児かを生んでいて育児放棄しているなど)といった状況が重なっているためである。
友愛会を利用する方は身寄りがない方がほとんどである。
つまり身寄りのない母親が子育てをできないならば、その子は誰によって育てられるのか…。
乳児院や養護施設、里親、はたまた育児困難と思える母親が“育てる”こともあるのか。
その子にはどんな将来が待っているのか…。
いつも深い悩みに陥ること。
生む親の側についての我々の整理のつかない思い。
生まれてくる子についての我々の勝手ながら底知れぬ不安と心配。
答えなんてわからないことは、世の中にも、我々の人生にも、山ほどある。
自分たちの「価値観」や「一側面的な正論」どおりになんてなりえないことは、世の中にも、我々の人生にも、山ほどある。
答えなんかわからないことだらけである。
そして、我々の出そうとする答えなんて左程の意味もないのかもしれない。
ただ、その親のことで手伝えることをし、祈るのみである。
ただ、その生まれてくる子が少しでも元気に生まれてこられ、少しでも元気に生きていけるために手伝えることをし、祈るのみである。

2018年03月16日

友愛会の支援者への手紙 26

 

伝える

私たちの仕事は「選択肢の提供」だと思う。
何度となく色々な場面で話してきたことである。
本人が決めていく「生き方」に、私たち援助者はより多くの選択肢を伝えていくことが大切なのだと。
伝えていくこと…。
そう、しかしながら「伝える」ことがあまりにも険しく困難なことが多々ある。
知的障がいや精神障がいなども、それを困難にする要因となることもある。
認知症なども同様である。
そして、そういった障がい性や疾患ではなく、“その人のスタンス”や“価値観”も「伝える」ことを阻害することがある。
語弊のないように説明すると、それはこちらが正しくてあちらが間違っているということを前提とした話ではない。当たり前ではあるが、「伝える」ことは、投げかける人と受け取る人がいてはじめて成立することなんだと、いつも痛感するのである。
たとえば、利用者さん同士で些細なことから諍いになることがある。
Aさんはとてもきれい好きな方で、台所に水滴一つ付いていないほどきれいに使う人。
Bさんは大雑把ではあるが、特に汚く使うわけでもなくそれなりに片づけもしている人。
そんな二人の間で、洗い場の排水口がきれいにされていないことを発端に口論となる。
Bさんがたまたま一度排水口の掃除を忘れていた。
Aさんは、Bさんがルールを守らないと言う。
壁には、「台所は皆で使うところだからきれいに使いましょう」と書いてある。
そのルールをBさんが破ったのだからBさんが悪いと。
Bさんも謝った。しかし、そのことを皮切りにしてAさんは、Bさんの「ダメなところ見つけ」をするようになり、それがエスカレートしていく。
その状況にスタッフは仲裁に入る。
色々な人がいること、一般的に誰が見ても汚いと思える状況ではないならそれでよいのではということなどを話す。
Aさんはくってかかる。汚くしているのはBさんだと。壁に貼ってあるルールを何故守らない人を庇うのかと。
皆で住んでいるところだから、お互い自分の価値観を押し付けないようにしなくてはと諭しても、Aさんの耳には入らない。
私は間違ったことは言ってない。何故私が注意され、諭されなくてはいけないのかと。
Aさんが友愛会の宿泊所に入所するまでの経緯では、このような諍いで仕事でもプライベートでも家族の中でも、人間関係を壊してきたことが大きな要因として考えられた。
どんなに伝えようとしてもAさんはこちらの言わんとする意図をくみ取ろうとしない。
「私が間違ったことを言っているのか」と。
上手く伝えきれない結果、AさんとBさんを別々の環境(友愛会は宿泊所を複数持っているので移動してもらう)に離す。
それは、もちろん根本的な解決にはならない。
Aさんはまた別の誰かとそういった諍いを起こす。
現実として「伝わらない」ことなんて山ほどあることを、もちろん私たちは知っている。
それでも懲りもせず、いつか「伝わる」のではと思いながら「伝え方」を悩み続けるのである。

2018年03月09日

友愛会の支援者への手紙 25

 

生活困窮者支援を続けてきて

友愛会が活動をはじめて18年になる。
35年以上前から山谷地区で炊き出しや無料診療所活動を続けてきた『山友会』から「住むところ」の支援をする部門として暖簾分けしたのが始まりである。
路上生活者をはじめ、身寄りがなく、あらゆる理由で生活に困窮する人たちの居住支援・生活支援の先駆け的な活動の一つとして活動を続けてきている。
このところよく質問されるのが「友愛会は人権擁護団体ですか?」というもの。
ちょっと違う気がします。
社会的弱者を助けているのだと言えるほどの活動はできているとは思えませんし、そう思って活動しているのかというと少しニュアンスが違う気がします。
私たちがかかわっている人たちはとても多様です。
当たり前ですよね、同じ人なんていませんから。
ただ、そういう意味だけでなく「弱い人」も「弱くない人」もいるというところでも多様です。
ちょっと語弊があるような表現でしたが勘弁ください。
たとえば、あるアルコール依存症の方がお酒を飲むために色々な策を巡らせます。
だましたり、泣き落としたり、他人のせいにしたり。そして、その都度、居直り、悪びれずに繰り返します。
もちろん、依存症自体が病気(障がい)として飲まずにいられなくなっているので、この行動や考え方自体がイコール「ダメな人」と見ては欲しくありません。
私たちがご飯を食べ、小便をするような生理的欲求と同様に飲酒欲求を持ってしまっている病気(障がい)なのですから。
ただし、その病気のため、本人は”したたか”に生きている部分があるのも事実です。
自分一人では回復しきれない病気(障がい)、そしてそのために受ける差別や偏見という「弱さ」を持っている一方、あきらめや居直りの中で作っていった”したたかさ”であったり、”自分さえよければよい”というちょっと困った「弱くない部分」も持ち合わせていることが多いのです。
何度も言うように、もちろんその「弱くない」部分も病気(障がい)やそれを抱えて生きていく中で身に付けざるを得なかったということもあります。
それでも、社会一般的に考えれば決して酌量できないほど「自分勝手」な行動であったり、「わがまま」な考え方であったりするものを持ち合わせているのも、側面的に事実だと小職は思います。
アルコール依存症の方のみならず、生活困窮者支援を続ける中で、「擁護」だけをすることが支援ではないと気づかされることが多々あります。
このホームページの「活動への思い」にも書かせていただいていますが、『私たち友愛会のつつましく小さな活動が、社会の側の理解、生き場所を失っている彼らの側の理解、といった双方への働きかけと、悪循環の中で育つ不条理への一解決となれば…』と思っているのです。
彼ら自身が、自分自身の「周りから見て良くない部分」や「気づかなくては生きづらいままになってしまう部分」への理解を求めることも、私たちが活動の中でいつも考えていることです。
「支援」とは、決して「弱い部分」に焦点化してたすけるだけではないと思っています。「弱くない部分」とりわけ「気づき・改めた方が良いのではと思える部分」に対して伝え続けることも「支援」だと思っています。
『弱い人』もいれば『弱くない人』もいます。そして、『弱い部分』もあれば『弱くない部分』もあります。
『弱い人』や『弱い部分』には、一般で言うところの「たすけ」は必要でしょうし、私たちもそういった活動を続けています。
かたや『弱くない人』や『弱くない部分』には、「伝える」ことが必要です。
だからこそ、私たちの「支援」にはまず、向き合うことが必要なのだと思うのです。

2018年03月02日

友愛会の支援者への手紙 24

 

柔らかくありたい

多分、『知恵』とは柔らかな思考の産物なんだと思う。
そこには“絶対”という言葉は存在しない。
自分の知っている『知識』の中だけに「正解」や「正しさ」、「正義」といったものがつねにあるなんて言う“絶対”はないとおもうのである。
頑なにならず、柔らかくありたいものである。
そこに、もちろん“絶対”ではないであろうが、“より”正しい方へと歩んでいける『知恵』が生まれてくると思う。
それは「正しいものは一つしかない」のか「正しいものは一つじゃない」のかと言った疑問の解ではない。
そんなことは私には分かり得ないものである。
一つであったとしても、複数であったとしても、今の自分たちが、我々人間が、そこで言うところの「正しい」を知り得ているとは思えない。
だからこそ、柔らかくありたいものである。
先日、そんなことをあるスタッフと話していた。
対人援助の仕事なんてしていると、どうしても「正しい」とか「間違ってる」なんて振り分けをしてしまいがちになる。
続けて出てくる言葉は大抵「だって~だから」というもの。
そんな理由づけの中身は、誰かが言っていたものであったり、どこぞに書いてあったもの、そして以前経験した出来事…。
それは知識であって、目の前のことに対して生み出した知恵の産物ではないものである。
そして、そんな振り分けは、いつも後ろめたさと後悔を引き寄せてくるもの。
そんなことを思うこの頃である。

2018年02月24日

友愛会の支援者への手紙 23

 

「自立支援」について

このところ医療・介護・福祉などの支援現場において、声高に「自立支援」とうたわれている。
何でもかんでも至れり尽くせりの手助けは良くない。
その人が出来ることが損なわれないようにする。
そういった意味合いで広く使われているのであろう。
医療や介護においては、とりわけADL(日常生活動作:食べる、移動する、排泄する、整容を整える、入浴するといった活動)の自立度と併せて使われる言葉である。
福祉の領域、特にホームレス支援や障がい者支援、生活困窮者支援においては、経済的自立(就労支援など)や衣食住の自立(独居生活・世帯生活の支援)と併せて使われることが多い。
どれも大切なことである。
ただ、支援者の“さが”なのか、「早くしなくては」と考える支援者が多いため、支援・援助の過程で必要以上に先回りしたり、急かしたりしてしまう状況が少なくないと思える。
自立支援と言うならば、ゆっくりであっても、たとえ充分な状況でないにしても、その人自身がやっていくことが大切であり、支援者は「相談者」であり「伴走者」であるべきなのだと思う。
しかし、かたや自立支援という言葉を引用して、「ほったらかし」のような状況を作ったり、その人が本当にできないことまで求めたり、そして、ともすれば支援の仕方が分からない時の言い訳にしてしまっているような状況も少なくはないと感じる。
「相談者」、「伴走者」だけでなく、「理解者」でもあるべきなのだと思う。
ちよっとここで昔話をしたい。
鎌倉時代、忍性という律宗の僧がいた。鎌倉にある極楽寺の開僧である。
忍性は、「社会福祉活動の先駆者」と言われることもある。
彼は鎌倉に建立した療病施設「桑谷療病所」で、当時差別を受けていたハンセン病者や身体・精神・知的障がい者、その他の病者の救済・療養にあたった。
20年間で57,000人以上の救済・療養にあたったと伝えられている。
忍性にまつわる話の中で、自立支援のあり方を考えさせられる話がある。
彼は、ハンセン病のため歩けなくなった奈良坂(奈良の街はずれ)の男を、毎日毎日、奈良の市まで背負って送り迎えし、その男が乞食での生計が成り立つように奔走したという。

友愛会で色々な人とかかわり、その人たち一人一人の「自立」を一緒に考える中で、いつも思うのは、「待つこと」と「頑なにならないこと」である。どれだけ時間がかかっても、どんなに変化しても、その人が考えて行動することこそが「自立」でありそれを手助けすることが「自立支援」だと思う。
もちろん、その考えさえも頑なにならないようにせねばである。

2018年02月16日

友愛会の支援者への手紙 22

 

本人こそ不安なのだ

統合失調症などにみられる精神症状の一つに“させられ体験”というものがある。
「作為体験」や「身体影響体験」とも言われているこの症状は、行為や動作を誰か(何か)に作られてしまうような体験のことを言いう。
私たちが日常的に体験することは、知覚(五感から感じる認識すること)であれ思考であれ、つねに「私(自分)がしている」「私(自分)のもの」という意識とともに感じられていると思う。
これを難しい言葉で言うと、「自我の能動性意識」あるいは「自我所属感」というのだが、そういった感覚が消失して、あるいは伴うことがなく、「外から作為される」「誰かに操られる」「勝手に動く」という感覚の体験するのである。
知覚ではなく思考の面にあらわれるなら、「考えが外から入ってくる」「考えに干渉される」「考えを抜き取られる」といった体験となる。
経験したことのない私は、多分この経験の本当の辛さを分かり得ないと思うが、どうしてもこの稿を読んでいる方に伝えたいことがあるのである。
私たちのかかわっている統合失調症の方々でもこういった“させられ感”にさいなまれている方が多くいる。
たとえば、Aさんは、車を運転していて駐車場に後進で停めるとき、白枠に合わせてハンドルを切っていたら、「ハンドルを切るのはもう少し後だ」という考えへの干渉と、『ブレーキではなくアクセルの方に足を動かされる体験』をした。
もちろん、結果は横に駐車されていた車にドスン!である。
Aさんは、車の持ち主がくるのを待って謝罪したが、自分の状況を上手く説明できるはずもなく、変な言い訳をするなと憤慨させてしまったらしい。
Aさんはその後自ら車の運転を止めた。
実際、自分の意思とは関係なく何かをしてしまうというのは、本人だけでなく周囲の人にとっても不安であろう。
それを承知の上で、私がここで強調したいのは、“させられ体験”に見舞われた人の気持ちである。
Aさんは、自分がぶつけようと思ってした訳でもなく、自分の判断ミスでぶつけた訳でもない。
それでもぶつかった事実に対して謝ったのにもかかわらず、「言い訳をして誠意がない」と思われてしまうのである。
Bさんに起きていることはもっと複雑である。
Bさんは、「幻聴」と「させられ体験」を主とした統合失調症であった。
本人の自覚では10歳以前から症状に苦しんでいたという。
男性であるBさんは、突然「させられ体験」によって、目の前の男性の局部を服の上から触ってしまうのだという。
Bさんが「同性愛ではない」と言っても誰も信じてくれなかった。
そんな中でも「させられ体験」だと分かってくれた人が一人あらわれた。
しかし、悲しいかなその人に「そんなに否定するのは同性愛者に対しての差別だ」と言われたという。
同性愛者を差別しているのではなく、自分の性のアイデンティティについて分かってもらいたいだけなのに…。
症状だけでなくアイデンティティも理解されないことに、彼の傷心はいかばかりであったか。
何故そういった“させられ体験”が起こるのかは分からないが、Bさんとのかかわりの中で、7~8歳の頃に父が隠してあった男色雑誌を見つけてしまったことがあると聞いたことがある。そのことが関係しているか否かは分からないが、彼の話ではその後まもなく精神症状を経験し始めたという。
Aさんについても、Bさんについても、分かってほしいのは本人がそうしているのではないということ。
本人も不安で仕方なく、辛く、苦しんでいるということ。
その症状への不安や怖さを周囲の人たちが持ってしまうのは否めないところもあるが、その症状を持つ人までも追い詰めないでほしいと思うのである。

2018年02月09日

友愛会の支援者への手紙 21

 

何処に立つのか

友愛会の活動を続けている中で悩ましいことの一つに「何処に立つのか」というものがある。
たとえばAさんとかかわる時に、どういったスタンス・立場・位置づけで支援するのかということである。
対人援助の仕事では、どこであってもそういった悩みや葛藤はあるのだと思うが、私たちがかかわる方々の支援では、それがちょっと「広範囲」なのだと思う。
住む場所がない、家族・友人などの人間関係がない、病気や障がいを抱えている、お金がない、悲観的であり投げやりになっている、自己決定できるだけの力がない…、そういったことが重なりあった方々への支援では、私たちは自分たちの役割が、「父親」、「母親」、「子」、「友人」、「福祉関係の人」、「医療者」、「よき理解者」、「代理人」などといった様々な側面のどれであるべきか、あるいはそのときどきで替えるべきなのかなどと悩むのである。
もちろん、自分一人でかかわっていくだけではないのだから、そういったその人に必要であったり、その人が欲している“役割”の人的資源を整えていくのだが、その時にいつも悩む状況が訪れるのである。
たとえば「医療者」としての役割を中心としてかかわりはじめたが、その役割でかかわってくれる支援者が出来たならば、他のまだいぬ必要な役割を担おうと考える。身寄りがなく、人間関係が希薄である方の場合、往々にして「よき理解者」のような“役割”を担う人があらわれない。私たちはその役割に立つことが多いのだが、そこで悩ましいことが起きる。それは、本人ではなく「医療者」の役割を担い始めた人との中で起きるのである。一般的に「医療者」や「福祉関係の人」などの対人援助職としてかかわる時は、『公人』としてかかわる。それに対して「父親」、「母親」、「子」、「友人」、「代理人」、そして「よき理解者」といったときは、『私人』としてかかわる。新しく「医療者」を担ってくれた人が自分のことを「医療者」(公人)として捉えていると、「よき理解者」(私人)としての役割を理解されなかったり、非難されたりすることがあるのである。でも病気の悪化を否として関わることを旨とする「医療者」(公人)の役割の人しか周囲にいなくては、本人は息が詰まるし、気持ちも荒んでしまうかもしれない。単なる「よき理解者」(私人)のような人がいて、たとえば「苦しくてもタバコ吸いたいなら吸ってもいいんじゃない」といったことを言ってくれる人がいることはとても重要である。ただ、それは対人援助職間では、「看護師なのにタバコを吸うことを推奨するのはおかしい」といった具合に、理解を得ないことが多いのである。  
何処に立つのか。
『公人』としての立場・役割を担える資源・制度・人材が多くあるならば、あえて『私人』としての立場・役割にこそ、私たちは立ちたいと思うのである。

2018年02月02日

友愛会の支援者への手紙 20

 

大人の軽度知的障がいと発達障がい

昨今、大人の軽度知的障がいや発達障がいが取り立たされている。
そして彼らのうち少なくはない人たちが、生活困窮に陥っていることが多い。
4~5年前には、路上生活者の多くに軽度の知的障がいや発達障がいがあるというデータも発表された。
生活困窮に陥る彼らの多くは、就学期の不登校などを起点に、引き籠りがちな生活を送ることが多いようだ。結果、もともと障がい上苦手な人間関係や社会適応性に、より支障が出ることも考えられる。収入が少なかったりなかったりしても、親と暮らしている間は生活していけるが、親が亡くなったり、関係が悪化し離れることになると、嫌が応にも社会へと出ていかなくてはならなくなる。若年であれば児童福祉でのフォローも出来るが、それが成人になってからであれば…。
複雑で流れのはやい社会に放り出され、仕事に就いたとしても、色々なことで手こずる。身近に「障がい性への良き理解者」がいないければ、人間関係も仕事もが上手くいかず、不信感と劣等感に覆われていく。受け入れてくれない社会への思いが「障がい性とは別の生きづらさ」を育ててしまったり、自暴自棄がより自己管理を難しくさせたりしてしまう。そんな人たちの一部が、友愛会へと繋がってくるのである。
Aさんもそんな一人であろう。仕事に就いても長続きしない。理由は一見些細なことである。一度注意されると怖い人がいるからと、ちょっと仕事が増えるときついからといった理由である。あるいは、給料を貰ったらすぐに遊びに使ってしまったり、自分で金銭管理が出来なくて友愛会に預けても、嘘をついて風俗に行ってしまい、怒られるのが怖くて失踪(プチ家出)をしてしまう。戻ってきてもまた嘘の説明をして、そしてまた同じようなことを繰り返す。
これらの「障がい性とは別の生きづらさ」は、彼らのそれまでの人生と経験から生まれた不信感と劣等感によって作られているところが多いと思うのだが、それは理解されにくい。たとえ一定の理解がもてたとしても、彼らの態度と言動に、関わる側の感情も怒りや諦めと言ったものに覆われていくことが多いのも否定できない。
だからこそ、まずは障がいに対する正しい理解を願うのである。
そして、彼らに対して「ダメ」だとレッテルを貼るのではなく、彼らに届くコミュニケーションを投げかけることへの理解を願うのである。
友愛会もそんな心がけの中で日々の活動を続けている。

2018年01月26日

友愛会の支援者への手紙 19

 

ある老女の受難

友愛会には、災害や事故によってそれまでの生活を壊されてしまった方々がやってくることも多々ある。
それは、ニュースになる程の大規模災害・事故などに際しても然りであるが、そればかりではない。
もちろん大規模災害・事故は、報道されることで多くの人がその惨状と悲嘆を目にし、そして色々なことを考え、思い、そして行動にうつす方もいる。
マスメディアの大切な働きであるし、その情報を受ける多くの人たちの良心に他ならない。
ただ当たり前ながら、災害にしても事故にしても、自分の知らないところで毎日起きていて、そしてその惨状と悲嘆にあえいでいる方々はいる。
そのすべてを知るべきだと言いたいわけではない。
しかしながら、そういった事が自分の目や耳に届かないだけで、いつも起きているということを、私たち友愛会のスタッフは日々直面するのである。
災害や事故だけでなく病気や事件も同じで、どれも見舞われた人にとっては理不尽であろう。
「なぜ私が」、「私が何をしたっていうの」…。
どうしようもないかな、決してその人がわるい訳ではなくとも、辛いこと、苦しいこと、悲しいことが起きてしまう。
それは、もしかしたら自分の身の周りにも大きい小さいと感じる別はあったとしても、日々起こりえるものであり、起こっていることであり、だからこそ心のどこかで忘れてはならないと思ってほしかったりもする。
随分前の話である。
Aさんは、三宅島に住んでいたのだが、噴火によって島を出なくてはならなくなった。
70歳を過ぎていて子どもはなく、近親者も老いた妹一人以外は他界してしまっていた。
1983年の噴火の時は島を出ずにすんでいたが、2000年の噴火では全島避難となったのである。
妹もAさんの面倒はみれず、観機能障害、糖尿病や変形性膝関節症など幾つもの慢性疾患を患っていた彼女は、避難者割当ての住宅での一人暮らしは難しく、友愛会に入所依頼がきたのだった。
島での生活と都会の生活の大きな違いの中で、しかも顔なじみの島民との交流も少なく、不安と焦燥にかられていた。
もともとよく酒好きで、普段から飲んではいたようだが、友愛会に入所後も影で飲酒を続けていた。
酔っ払って部屋で転んでいた時に、さすがに注意をしたら、「どうしてこんな目に…」とボソッと言ったのをよく覚えている。
避難から4年が経って彼女におかしな症状が現れはじめた。
加齢による脳の萎縮にアルコール性の脳の萎縮が重なった認知症であった。
まだらな認知症状がある中で、彼女が何度となく書いていた「なぜ自分ばかり」と嘆くメモを見たことがある。
避難から5年、三宅島への避難指示が解除され、島に人が戻りはじめた。
彼女も戻りたがっていたが、役所や福祉事務所は首をたてに振らない。
認知症状が出ているのである、ある意味当然であるが、私たちは何とか出来ないものかと思っていた。
そんな折に、妹さんが島に戻ることにしたとの連絡が入る。
近所に住んでいた知り合いの島民もAさんの日常の世話を手伝ってくれそうだからということで、島に戻る目途がついた。
竹島桟橋の埠頭までAさんを見送り、満面の笑みで船に乗っていく姿にホッとする。
もちろん、認知症が進む中で帰島に危惧もあるが、彼女の不条理な自分を嘆きながら酒に溺れる日々を、空論なる説得をしてしまう我々の話を聞きながら過ごすより良いと思えた。
数週間後、Aさんから小包が届く。
島に自生するアシタバがどっさり入っていた。
そえられた手紙には、「私ばかり良い思いができて…」と書かれていた。

2018年01月19日

友愛会の支援者への手紙 18

 

障がいと触法

2012年の7月、一つの裁判員裁判の判決が大きな波紋を呼んだのを記憶している人はいるであろうか。約30年の引きこもりの末、自宅で姉(当時46歳)を刺殺したとして、殺人罪に問われた42歳男性の判決である。
大阪地裁で行われたこの裁判で、裁判長は「彼に対して社会の中でアスペルガー症候群という発達障がいに対応できる受け皿が何ら用意されていない」「許される限り、長期間刑務所に収容することが、社会秩序の維持にも資する」などとして、検察側の懲役16年の求刑を上回る懲役20年の判決を言い渡した。
行き場がないからムショに入れておけ…、世論が加わった法廷において出された判決は罪に対する刑とは異質のものが混ざったようだ。
この事件の経緯を大まかに説明する。
被告人の男性は、小学校5年の途中から不登校になり、以来、約30年にわたって引きこもる生活を送ってきた。その間何度も、家に引きこもっていては駄目だからやり直したいと思い、転校や自分のことを誰も知らない遠い場所への転居などを両親にお願いしていた。しかし結局、転校も転居も出来ないのは姉のせいだと考え、長期に引きこもったのも姉のせいであると勝手に思い込んで恨むようになっていた。そんな背景の中、彼の自立を願って接していた姉への妄想的な恨みは増強し、終には自宅にあった包丁で犯行に及ぶ。多数回突き刺し、姉は1週間後に死亡したという経緯であった。
この判決に憤りを感じながらも、確かに社会的受け皿は少ないことは事実であるのは否めない。それは単に家族を中心とした受け皿だけでなく、障がい者施設などの受け皿も少ないということである。無知から生まれる障がいに対する抵抗感や不安感に加えて、犯罪に対する恐怖感や嫌悪感が重なると、施設を作ろうにも近隣住民からの理解を得られず作れない。たとえ偏見からくるものであっても、自分たちの身近な生活環境にリスクを増やそうなんて思うことは出来ないものである。核廃棄物処理施設の建設地問題や米軍基地移転問題でもわかるように、どうにかしなくてはならないと思っていても、「怖い」、「何かあるかもしれない」ことを、積極的に歓迎する人はいないに等しいものである。そうして、「受け皿をなくす」ことをしてきた私たち社会は、そんな自分たちの行いを棚に上げて、今度は「行き場所がないからムショに入れておけ」とのたまうのである。
友愛会にも触法歴のある障がい者の利用依頼が多々ある。「訪問看護ステーションゆうあい」にくる精神科訪問看護の依頼もさることながら、「友愛ホーム」などの施設への入所依頼にも触法歴のある障がい者が多い。悩ましいのは、“来る前”と“次の行き場”である。
刑務所を出所後に行き場がなくて友愛会にきて、友愛会を出ていこうにも他に生活を営める場が見つからないのである。もしも利用者同士の衝突などがあって無断退所、失踪などに至った場合、路上生活に陥るのは必定。否、いきづまりから再犯につながることも否定できない。実際、友愛会の十数年の活動の中でも後悔の念に覆われるケースが少なからずあった。
障がいと触法にまつわることは、これから社会問題として閉眼していられないものになっていくであろう。それは、ここで書いてきた社会的な受け皿が少ないことだけでなく、障がい性と犯罪性を過度にオーバーラップさせて考える偏見や、精神鑑定と責任能力についての判断基準なども容易に解決できないものであるが、とても人権にかかわることだからである。いまだに平然と私たち社会が選択してしまう「不安・恐怖からの拒否・排他・隔離」といった思考以外の思考を見出さねばいけない。
そのためにも、まずは何より無知からの脱却が必要であろう。

2018年01月12日

友愛会の支援者への手紙 17

 

私たちの『小さなこだわり』

皆さんは「家庭」という言葉を連想するときに、どんなことを思い浮かべるでしょうか。
私は『ご飯(食事)』にまつわるものがとても多い。
夕食の準備をしているときの包丁で野菜を切る音。
大皿にのったおかずを兄弟で取り合っている姿。
「朝ごはんよぉ~」と起こしに来る母親の声とみそ汁の匂い。
友愛会の『小さなこだわり』の一つは、外注はせずにその場で作った食事を出すことである。いつも調理のスタッフが“見えるところ”で、また“音の聞こえるところ”で作っている。食器はなるべく瀬戸物を使って、ご飯とみそ汁は温かいものをよそう。たまには作ってる最中につまみ喰いをしたり、誰かが何か食べたいと云えば作ったり、正月はおせちを作り、節分には太巻きを作り…、そんなどこの家庭でもあるような『ご飯(食事)』にしようと思っている。
Aさんは30年来のアルコール依存症の方で、何度も何度も急性アルコール中毒やアルコール性肝炎などで救急搬送されていた。Aさんと友愛会との付き合いは、Aさんがドヤ(山谷地区の簡易旅館)に住んでいた頃からの付き合いで、もう十数年になる。9年前、酩酊状態で転倒し、大怪我をして入院をしてから、本人とじっくり話して友愛会の施設に入ることにした。それまでは、アルコール依存症の回復プログラムに通いながらも、何度も何度も断酒とスリップ(断酒が途切れてしまうこと)を繰り返してきた。飲まずにいられない病的欲求とこんな状態から抜け出したいと思う切ない希望が葛藤を生み、その葛藤が自暴自棄を、そして諦めと自虐を…そんな抜け出せない輪の中に彼はいた。最後に自分から「友愛に入れてくれ」と言ったのは、どうにもできないでいる現状への彼なりの抵抗だったと思う。もちろん、そんな自分を律する選択をそれまでも何度も試みたことだろう。その何十回目かも分からない『また失敗するであろう小さな選択と挑戦』を、彼はその時“また”したのであろう。
人生とは奇なるもので、Aさんにとって『素敵な誤算』があった。何をしても、何があっても飲酒を止められなかった彼が、友愛会の施設に入った後、いつの間にか飲まなくなったのである。
理由は、「Bさん(調理スタッフ)の作る飯が旨いから」。
たまたまである。
決して他のアルコール依存症の方に再現性があるものではない。
そんな理由で断酒が出来るとはふつうは思えない。
もちろん、それを必然的に意図して入所させたわけでもなければ、友愛会の活動はすごいだろと偉ぶる話でもない。
ただ、『ご飯(食事)』には“そんなこと”が起きる何かがあるのだと思う。
だからこそ、たとえ再三度返しであっても、今の『ご飯(食事)』の雰囲気とかたちは、私たちが大事にしたい『小さなこだわり』なのである。
Aさんはそれから9年間、お酒を飲まないでいる。

2018年01月05日

友愛会の支援者への手紙 16

 

「失った生」と「失った死」

時として全く想像もできなかった「思い」や「感情」に出くわすことがある。自分の「思い」や「感情」でさえ、いい年をしてからはじめて持つこともあるのだから、いわんや他の人のそれらに想像が及ばぬこともあって然りである。それでも出くわした後は、自分の想像に加えていきたい。それが少しでも相手の辛さや、悲しさや、苦しさに気づけるものとなるならば…。
もう十数年前の話である。Aさんが友愛会に来たときはまだ30代だった。彼は大変な病魔に侵されていた。その当時「生きられない」と言われていた病気、AIDSであった。リストラが当たり前になっていた1990年代末、Aさんは仕事を失い再就職先もなく、ホームレス生活を余儀なくされていた。訳あって連絡をとれる身寄りがなく、数年路上生活を続けていたAさんは、息苦しさと咳に襲われた。風邪かと思っていたがひどくなるばかりで、挙句にはホームレスの知り合いが救急車を呼び病院に搬送された。「カリニ肺炎」、彼の症状についた診断である。この肺炎は感染に対する抵抗力(免疫)が正常な状態では起こらない。検査の結果、AさんはHIV感染によって免疫不全となっており、そのためにカリニ肺炎を発症していた。つまり、AIDSであった。
専門機関のある大病院に移り、当時はまだ効果も弱く数も少なかった治療薬を併用しながら治療を受けはじめた。安定してきたところで、退院のための生活の場所を探し、友愛会に依頼がきた。友愛会の施設に入所することになり、今後の治療と生活について相談していても、Aさんは投げやりな受け答えしかしない。無理もない、当時のAIDSの診断・告知は「死の宣告」に他ならなかった。「あなたは近いうちに死にます」と言われたに等しい。友愛会に来てからもAさんは荒んだ生活を続けていた。酒を飲み警察に保護されたり、怠薬したり(HIVの内服治療は怠薬などで途切れると効果がなくなり、再度調整しなくてはならない)といった毎日であった。検査でもウイルス数は増え、免疫の検査値は下がり、水道水を飲んでも感染するのではといった状態に陥った。
そんな彼が少しずつ前向きになるきっかけになったのは、「目標」を見つけたことだった。生活保護の生業扶助を利用して会計士の勉強をはじめたのである。病院のAIDS専門コーディネーターと生活保護のケースワーカーなどを含めて、本人といろんな話をした。どうせ死ぬのだから治療をしても意味がないし、いつも不安で、酒でも飲んでいなくちゃどうにかなってしまいそうであると言う彼に、何か打ち込めることを探そうと話した中での彼の選択であった。勉強のために専門学校に通ううちに、怠薬はなくなり、笑顔も見せるようになってきた。3年間専門学校に通い、その後は自主的に図書館などに通い、かれは勉強を続けた。会計士になるためには、幾つかの試験を合格しなくてはならないのだが、一つずつ合格するまでになっていた。そして、時はいつしか10年近く過ぎていた。
そんな穏やかに過ぎていた毎日の中で、Aさんは自分の中にある違和感に気づいたようである。突然の失踪…。一週間ほど行方不明になった後、手元のお金がなくなり、夜中に都内のB公園近くの交番に保護された。迎えに行ったスタッフとともに友愛会に戻ってきたとき、髭面になっていた彼の姿より、その空虚で生気のない「目」に、私は只ならぬ彼の変化を感じた。二人でコーヒーを飲みながら沈黙が続く。
Aさんがゆっくりと語りだした。
「分からなくなったんだ」
か細い声だった。
「何がわからなくなったの?」と聞き返した私に、彼はこう答えた。
「僕の命は期限付きだった。数年で死ぬと諦めた。どうせならと会計士になる勉強をはじめた。何かに打ち込んでいたら気もまぎれると。そうして、いつの間にか10年経った。僕は死んでいない。僕はまだ死なないと気づいたとき、怖くなったんだ。死ぬはずの自分が生き続けてしまったら、どうしたらいいのか分からなくなったんだ」
私は言葉を失った。確かに10年の間に、AIDSは確実に「死ぬ」病気ではなくなっていた。新薬が多く開発され、完治はしないまでも薬物療法を的確に行えば病気の悪化は十分に防げるまでに進歩していた。そしてAさんは生き続けてこれた。嬉しい以外の何ものでもないと私は思っていた。いや、思い込んでいた。
Aさんは、話を続けた。
「死ぬなら…、何やっても結果死んでしまうなら、『大いなる挑戦』『大いなる挫折』で終わる、そう思っていた。だから会計士の勉強もできた。僕は頑張ったけど死んでしまったんだと言い訳できるはずだった。死を前提に生きてきたんだ。死なない人生なんて僕にはなかった。生き方が分からないんだ。10年、20年、30年生きる人生は、生き続けるための生き方は10年前に僕から消えたのに」…。
「これから考えていけばいいじゃないか。なりたかった会計士になるのもあと一歩のとこまで来てるじゃないの。捨て鉢な人生ではなく、積み重ねてきた『生き方』がAさんにはあるじゃないか」
そんなことを言い返しながら、私は彼の告白に、正直動揺していた。
「そう何度も考えた。考えてもやっぱり分からないんだ」と答える彼の声は、やはりか細かった。
その後、Aさんは数週間後に再び失踪した。そして友愛会には戻らなかった。数か月経って、他県で保護されたと知らせが入った。自分を知っているところには戻らないと彼は言っているとのことだった。安堵と切なさが交差した。自分で命を絶つようなことをしていなかったことへの安堵、そして、未だ彼が「失った生」を取り戻したことよりも「失った死」を受け入れられていないことが切ない。
それから数年、Aさんが語った「生き続けられることで分からなくなった生き方」という「思い」や「感情」は、私の想像には留めている。そんな「思い」や「感情」もあるのだと。そんな辛さ、悲しさ、苦しさもあるのだと。ただ、その想像には、切なさが重くのしかかる。

2017年12月30日

友愛会の支援者への手紙 15

 

「業」、「宿命」、「運」

往々にして人生には、理不尽であったり不条理であったりすることが突然起こるものである。
たとえば、自然災害に見舞われることもある。
交通事故の被害にあうことも、加害者になってしまうこともある。
病気に侵されることも、障がいに見舞われることもある。
話の行き違いや勘違いで、人間関係が壊れることもある。
抗えないほどの権力に屈服させられることもある。
どんなに気を使っていても、本人に落ち度がなくても、他の人には起こらなくても、何故か自分自身に降りかかることがある。
私たち人間は、それを「業」、「宿命」、「運」という言葉と共に受け入れる方法を見つけた。確かに、何(誰)かを恨んだり、何(誰)かの所為(せい)にしても、自分に起こった出来事が消えないのであれば、「業」、「宿命」、「運」という捉え方は、ある意味、私たち人間を慰めるものである。私たちの日頃の活動の中では、こういった言葉を耳にすることが多い。
簡単に「頑張れ」と励ませるわけがない。ありきたりに「そんな『業』なんて、あなたにはない」なんて言えるものではない。そんな「業」、「宿命」、「運」と捉える他ないような忌まわしい出来事が起きたとしても、それによって死に見舞われない限り、人生は続いていく。そして私たちが友愛会で彼らと出会うときは、そんな出来事が起きた後の人生である。
私がいつも思うのは、自分の所為でないことまで自分の所為と思う他に、心の収めようがなかった事への切なさである。理不尽であり不条理であることは、決してその人の所為で起きたものではない。それでも、それ以外に出せる答えがない時に、自分に矛先を向けることしかできなくなる、そんな状況が切なくてならない。
もう私とは長い付き合いになるAさんの話である。
Aさんは10代の頃、あるスポーツの選手を目指して厳しい練習の日々を過ごしていた。体重を増やせない種目のため過度な食事制限をし、結果、体調を崩してあきらめることになった。地元を離れ上京し、調理の道に入る。40代の頃には小さな飲食店を任されるまでになっていた。
ある時、オーナーから2か月ほど給料の払いを待ってくれと言われ、「ギャンブル好きのオーナーのことだからこの店も危ない」とは感じながらも、店舗の二階に住んでいたこともあり、すぐに辞められない状況でいた。2ヵ月が経った頃、オーナーが失踪したとの話が耳に入ってきた。翌日から、店にはサラ金だの闇金だのが取り立てきて、一週間も経たない間に店舗ごと差し押さえられた。幾ばくか貯蓄していたお金を帰郷すると言う店の若い衆に分け、残ったお金を崩しながら仕事を探すも、時はバブル崩壊後の世の中。見つからず、財布の底もついて路上生活となった。それでも日雇いの仕事を探し、日雇労働者の中でも嫌がるようなきつい現場にも就いた。どんな仕事かというと、ゴミ処理施設の焼却炉内や煙突内の清掃業務である。清掃時には前日などに火を落すだが、夏季にいたってはほとんど冷えずに70~80℃の中での作業となる。15分作業して30分外で休む、そんな繰り返しである。飲水量は5~10Lにもなったと言う。しかも、ダイオキシンの中での作業である。誰もが嫌がるわけである。
彼は2~3年で50万のお金を貯めた。路上生活を始めた頃からの付き合いであった友愛会に来て、アパートの保証人になってほしいと言う。もちろん私は引き受けた。健康を害するほどの彼の努力は、ホームレスの脱却という一つの結果に行きついた。だが、代償として差し出した彼の身体はもう限界が近かった。目は悪くなり、椎間板ヘルニアを患い、狭心症も患ってしまった。そんな折、日雇で働いていた会社が倒産する。きつい仕事ながらある程度安定していた収入を失い、また路上生活になる。それでもAさんは、満身創痍の体に鞭を打ち、一年後には再びアパートに入居できるだけのお金を貯めた。それが彼の身体の限界だった。寝込むことが増え、仕事も出来なくなり、三度、路上生活になる。それまでも事あるごと生活保護を受けるようにすすめていたが、Aさんの返答は、「これは自分の宿命だよ。すべて自分が招いた結果。国の世話になっては罰が当たる」。私は、何度考えてもAさんの生活歴の中で、彼の大きな落ち度を見つけられなかった。
路上生活の中、狭心発作が頻回に起きるようになったAさんに、医療機関に受診するためにも生活保護を受けてほしいと何度も説得し、渋々彼は生活保護を受けるようになった。今でも彼は、「ありがたかったよ。あの時、福祉事務所に連れて行ってくれたから今も生きていられる。でも、国のお世話になって俺なんかが生きていていいのかね」と言うことがある。やはり切なくなる。
なけなしの生活保護費の中、「飯をおごるよ」と、彼はよく私を食事に誘う。私は敢えておごってもらうようにしている。「俺の金じゃないけどね」と付け加えながらも、「生まれかわっても、同じ人生を歩むことになっても、また出会って飯が食える仲でいたいな」と言うAさんの笑顔に、「業」や「宿命」、「運」の中に、少しでも「善業」、「良い宿命」、「幸運」を共に見つけていきたいと思うのである。

2017年12月22日

友愛会の支援者への手紙 14

 

自分らしさ、その人らしさ

語弊があることを承知で表現すると、友愛会がかかわる方には、それまで人間関係も生活も健康もぐちゃぐちゃにしてしまってきた人が多い。もちろん理由は様々である。誰かに裏切られたり、誰かに捨てられたり、病気や障がいに見舞われたり、運がないとしかいい様がなかったり、あるいは本人が自分で招いたり、などなど。
私がこの仕事を始めた頃に会った白髪の老女Aさんもそんなぐちゃぐちゃな状態であった。
彼女は20代の頃、親の知り合いから持ちかけられた見合いで結婚をした。夫になった人は実直で優しく、一人息子で家業を継いでよく働き、よい結婚生活だったと彼女は振り返っていた。しかし、結婚して3年ほど経った時、彼女は奈落に突き落とされた。最愛の夫が若くして病死したのである。彼女は実家に戻ろうとも考えたが、一度嫁いだのだからと実家には戻らず、その家で義父母と暮らし始めた。
息子を亡くしたためか義父母はそれまでとはうってかわりAさんに冷たくあたったと彼女は言う。夫との間には子宝にも恵まれていなかったため、なお一層肩身が狭かったと。そして終には辛くなってついには家を飛び出した。実家にも帰れず、ある温泉街の旅館で仲居として働き始めた。今まで働いた経験は経理事務の仕事くらいだったらしく、へまばかりをしていたとのこと。トロイせいで周囲からもいじめられていたが、そんな折、常連のお客さん(小さな会社の社長さんとのこと)が経理の出来る人を探していると言って、彼女に声をかけてきた。ついて行ったはいいが、本人曰く、経理の仕事よりも愛人というか妾のような日々を過ごすことになったらしい。ほとほと嫌になり、実家に帰ったAさんだったが、1年も経たないうちにふしだらな女だったとの噂が起きた。田舎の噂は怖いもので、結局また実家を出る羽目になってしまった。それからは浪々の生活。その後の詳しいことをAさんは語らなかった。
そんなAさんは、自分らしさがわからないと言っていた。人を信じられなくなり、自分がどうしたいのかもなく、周りを警戒して、へつらったり、ごま擂ったり、だましたり、ただその時その時を彼女なりに自分を守って生きてきたからと言う。実際、Aさんは、友愛会に来てからも、周りの利用者さんに嘘をついてお金を借りたり、仲の悪い人たちがいたら強そうな人の側についたり。そして、結局周りの人から無視されてしまう。困ったことに、それを知って声をかけるスタッフをもだましたり。くじけないところは見上げたものである。
自分らしさって何なんでしょうね。多分、周囲の人は、Aさんのそんな姿をAさんらしさと思っていたのでしょう。でも彼女自身は、もちろんそうとは思っていない。自分自身が、というか自分らしさが分からないでいた。そして「自分らしさ」を求めていたようでもあった。一度だけAさんが先ほどの身の上話をしたときだが、吐露したことがある。「好きでこんな人生歩んできたわけじゃないのにねぇ。でも私の人生なんだよね。このまま死んだらこんな生き方が『私らしい』って言われるのかね」。
「らしさ」は自分で思うものなのか?周りの人が思うものなのか?周りが勝手に「その人らしい」と思うのは、得てしてその人が思う「自分らしい」と重ならないものなのでしょう。当たり前だが、人の心の中なんて分からないもの。それでも人は、「~らしい」と他人をみる。それがあたかもその人をあらわすように。気をつけなくてはと自戒する。
その後、老人ホームへ移っていったAさんは、健康的にもぐちゃぐちゃでしたから、もう他界したかもしれません。彼女が思う「自分らしい」生き方はできたであろうか。

2017年12月18日

友愛会の支援者への手紙 13

 

アルミ缶集めから見えてくるもの

路上生活をしている人が全くの無収入だと思っている人もいるかもしれませんが、全国の路上生活者の平均月収は4万円程度(概数調査)なのです。どんな仕事をしているかというと、自治体が行う特別就労(街の清掃作業などで輪番制の仕事。月に2~3回程度は順番がまわってくる。1回7,000円程度)や特殊な日雇い労働(ゴミ処理場の煙突掃除など)、そして廃品回収がある。インターネットが一般的になる前は野球やコンサートなどのチケット代理購入(チケット売場に並んで買う)なども収入源にしている人がいたが最近はほとんどなくなったようです。
そんな中で、最も多くの人が行っているのが「廃品回収」です。昔からよく集められていたのは段ボール。中小工場と折衝して廃段ボールを貰うなどしてリヤカーに乗せて集めている人を街角で見たことがある人も多いと思います。現在の価格は10~12円/kg前後。リヤカーに山積みにして100~150kgが限度でしょうか。換金すると1,000~2,000円程度。最近は、廃段ボールを卸してくれる町工場も減っていて、何しろ段ボールはかさばるのと、リヤカーもしくは台車がなくてはできない商売なので、段ボール中心の廃品回収をする人も減っているようです。現在、多くの人が集めているのはアルミ缶で、現在のレートは120~130円/kg前後。1缶あたりにすると1.7~1.8円程度でしょうか。1,000缶集めて1,700~1,800円といった感じです。1日8~10時間歩き回って集めて、「平均1,000円程度の稼ぎになるかなぁ」とよく言っています。時給にすると100~120円。ある意味、低賃金重労働をしているとも言えますかね。
以前、廃品回収をしている路上生活の人たちのことをもっと知りたくて、アルミ缶集めをしてみたことがありました。もちろん、山谷地区周辺で集めては、本業にしている方々の「飯のタネ」を奪ってしまうことになるので違うかたちで集めました。私の自宅がある地域でジュース自販機横のゴミ箱をまわって集めたり、ゴミ集積所に出された空き缶を拾ったりしました(※ゴミ集積所に出されたゴミは、民法上拾ってきてはいけないものです。私もそれが分かってからはやめました。皆さんもしないでくださいって、しないですよね(-_-;))。また、友人にジュースやビールの空き缶を捨てずに持ってきてもらったりしました。半月かかって集まった量は、およそ20kg程度。ゴミ袋(70L)に潰した缶で4袋でした。山谷地区では集めたアルミ缶などを買取りに業者がトラックで定期的にやってきます。もちろん業者に持ち込むこともできます。集めたアルミ缶を売ると3,000円程度になりました。その頃は北京オリンピックの前で、あらゆる資源のレートが上がっていましたので、約150円/kgと高値でした。それでもこれだけ集めて3,000円かと思ったものです。色々な見方があると思いますが、路上生活をしている人が怠け者だと一括りに見てはいけないことを感じてもらえる話ではないでしょうか。
アルミ缶集めをしていて、もう一つ分かったことがあります。それは、ゴミは人や家庭、地域、社会を表すということ。集積場から持ってきたアルミ缶の袋は千差万別でした。一缶一缶水で濯いできれいに潰して捨てている袋、缶の中にたばこの吸い殻が入っていたり、飲み残しが入っていたりする袋、そもそも分別なんて全くしていない袋…。自分はゴミを出すときに注意をしなくてはと心底思いました。そして、出されるごみの多いことに愕然としました。飲み残し、食べ残し、まだ使える電化製品、日用品などなど、何だかんだと言ってこの国は豊かなのではないかと思ってしまうほどでした。そして、かたやそれらを拾い集めて生計の足しにするスカベンジャー(ゴミから使えるものを拾って売る職業の人の意:海外のスラム地区で使われている言葉)がこの国にもいるという矛盾な現実。
ゴミ一つでも色々な事が分かるものですね。

2017年12月15日

友愛会の支援者への手紙 12

 

天国からのチョコレート

あの年の2月14日、小さな宅急便が届いた。
差出人の欄を見て後悔と悲しさが入り混じった感情があふれた。包装をあけ、中に入っている箱を開けると、バレンタインデーのチョコレートとメッセージカードが入っていた。
「いつもありがとう。あなたのやさしさを私以外の多くの人にも届けてくださいね」
私は唇を噛みしめた。自分は怠慢で無力で、そして…。
宅急便が届く4日前のことである。携帯電話にAさんから電話がかかってきた。彼女は以前友愛会の施設に入所していた方であった。窃盗や傷害などの事件を繰り返していて、刑務所出所後に友愛会に入所した方であった。発達障がいとパーソナリティ障がいがあり、入所後もそれらの障がいを基盤とする自傷行為を繰り返している方だった。特に自傷行為ではオーバードーズ(薬の多飲)が多い方だった。そんな中、利用者同士の人間関係のストレスと焦燥感からスーパーで窃盗をしてしまい、また刑務所に戻ってしまった。
その数年後、再び出所してきてからは、友愛会の施設への入所はしなかったのだが、電話をくれたり、顔を出してくれたりしていた。生活保護を受けながら、「自分は色々な嫌な経験もしてきたから、そして障がいもあるから、そういった大変な状況にある女性の助けになる活動や仕事をしてみたい」と話していた。その思いが軽犯罪などの繰り返しに走る彼女のそれまでの暮らしからの脱却に力を与えていた。
そんな彼女からの電話は、「また薬をいっぱい飲んでしまった。でも死ねないの。死に方を教えて」といったものだった。
直近の半年くらいはそんな電話がちょろちょろとかかってきていた。私の失敗は、繰り返していた彼女のオーバードーズの薬量と、それによって彼女自身に出来ていた薬物の耐性について安易に考えていたことである。
「どれくらい飲んだの?量によっては胃洗浄が必要だから病院に行きなよ。歩けなかったら救急車呼んでもいいから」
「死にたいけど…、分かった。そうする。気持ち悪いのは気持ち悪いので嫌だから…」
それが最後の会話になった。
翌々日、彼女が自宅で亡くなっていたという連絡が入る。
そして、その翌日、彼女からの、天国からのチョコレートが届いた。
…7年前のことである。
この仕事をしていると後悔・挫折・贖罪といった「業」をたくさん背負う。この仕事に限らず、人はそういったものをたくさん背負って生きていくものだと思うが、背負った分、優しく寛容で凛とした生き方をしていきたいものである。

2017年12月13日

友愛会の支援者への手紙 11

 

弱いものイジメ

携帯やパソコンのメールアドレスに届く「迷惑メール」。内容を読んだことはあるでしょうか。大概すぐに削除するか無視をしているのではないでしょうか。そうでなければ、アドレスを複雑にして届かないようにしたり、あるいは着信拒否の設定などをしている方も多いと思います。
実際どんな内容のものが送られてくるかというと、「3億円を貰ってくれませんか?あなたが信用できる素晴らしい人なら使ってほしいのです」とか、「私とお付き合いしてください。もちろんただとは言いません。月300万でいかがですか?」といったものや、「こどもが欲しいのですが、旦那は作れない体です。変わりに抱いてくれませんか?」のようなものが送られてくるようです。そんな突飛な内容に引っ掛かる人はそうはいないと思いますが、ではなぜあんなにも多くの迷惑メールがはびこっているのでしょう。
私の精神科訪問看護の経験をもとに一つのたとえ話を作って一緒に考えてみましょう。
ある50代くらいの男性がいたとします。その人は統合失調症の方で老いた父親と二人暮らし。一年程前から携帯電話を持つようになったのだが、それから何故か散財が進んでいるとのことで父も心配し、相談された精神科主治医から精神訪問看護に入ってほしいとのことでかかわりはじめた…。
携帯電話で何をしているのか、本人と色々話をしていくと、どうやら「迷惑メール」というか「悪質出会い系サイト」にはまっていた。手口は、「お付き合いしたいからメールをください」といった内容に返信すると、きれいな女性の写メが添付されてきて、しばらくやり取りしてから「仕事用のアドレスだからこのまま続けられないので○○○っていうサイトでメールのやり取りをしたい」といったメールが来て、怪しいサイトに導かれる。サイトの利用は電子マネーを購入させて、例えば一回のメール受信に100ポイント(100円)、一回のメール送信に300ポイント300円)といった料金が掛かるようになっている。
そのうち、「あなたに会いたいから、あなたの家の近くに行く。近くのファミレスで明日の夜○○時に会いましょう」といったメールが届き、結局待っていても来ず、「急用ができていけなかったの。ごめんなさい。私を信じて」と言って、また繰り返すといった感じ。
彼は障害年金をつぎ込み、しまいには父が老後のためにと貯めていてくれた預金を使い、保険などを解約してまでお金を作って没頭してしまう。しまいに数百万円は使ってしまった。彼は自分の病気のことが理由で女性と付き合ったことがなかった。携帯電話のメールの中に自分に興味を持ってくれて会いたいと言ってくれる女性がいる。それが嘘かもしれなくても、もしかしたら本当かもしれない。可能性は低くても、もしかしたら…。
そうなのである。引っ掛かりそうもない「迷惑メール」は、こういう純粋な気持ちにつけ入るのである。まるで「弱いものイジメ」。私たちの生活の中にあるけど気づかないような罠が、誰かを傷つけたり、誰かを食い物にしたりしていることがあるんですね。気づいていかねば、もっとアンテナを広げて、想像力を高めて、色々なことに気づいていかなくてはと思うのです。

2017年12月10日

友愛会の支援者への手紙 10

 

精神障がいとその人の「暮らし」

NPO友愛会が運営する「訪問看護ステーションゆうあい」の特徴は、精神科訪問看護が多いということです。小生をはじめ今まで在籍している看護師が、精神障がいにかかわる領域での経験が豊富です。経験というのは精神科病棟での勤務経験だけでなく、作業所(現在の地域活動支援センターや就労継続支援B型など)や行政保健の精神担当など、地域ケア領域で活動してきたということです。看板をあげて、「精神科訪問看護やってますよ」と謳っているわけではないのですが、いつの間にかあちこちに知れ渡り、約80名の利用者さんのうち、約45名が精神障がいを患う方です。
精神科訪問看護というか地域・在宅精神科看護の領域は、まだまだ遅れている領域だといえます。精神科クリニックからの訪問看護が少しずつ増えてきていたり、あちこちの訪問看護ステーションが精神科訪問看護を実施するようになってきてはいますが、病状観察と内服管理が出来さえすれば良いと思って訪問しているところも少なくありません。
もちろん、精神症状の出現などを確認することは大切ですし、拒薬(薬を拒むこと。向精神薬は頭がぼーっとしたり、集中力がなくなったりといった副作用が多いものも多く、薬を嫌がる人が多い)や怠薬(忘れてしまったり、面倒がって飲まなかったりすること)によって症状が悪化することを避けるのはとても大切なことです。しかしながら、精神障がいを患う方の日常生活における大変さは、薬の効果が及び難い陰性症状(感情の鈍麻、思考力の低下、意欲自発性の低下など)と言われるものや、薬の副作用によって引き起こされる日常生活能力の低下に他ならないと思います。実はそこにこそ、その人の生活の場に伺ってかかわっていく訪問看護の必要性が大きいのだと思うのです。「友達に病気のことを伝えていないけど会わないでいるわけにはいかないと思うがどうしたらよいか」とか、「計算が苦手になって、買い物に行ってもだまされて多く取られないか心配になる」のようなその人自身の生活の中で起きる様々な「生活のしづらさ」「自分自身への不安」「社会活動への抵抗」に対して、一緒に経験していく機会を作り、本人が自信を持てるような練習をしていくような支援こそが、訪問看護の役割とするところだと思うのです。
精神障がいに限ったことではありません。どんな病気や障がいであっても、病気や障がいにだけ焦点を当てるのではなく、その人の「暮らし」にも焦点を当てる看護職や援助職が増えていくことが大切だと思うのです。

2017年12月02日

友愛会の支援者への手紙 9

 

やすらぎの墓

友愛会の利用者さんが他界されたとき、その後は3つの弔い方に分かれます。
一つは、生前は疎遠であったり、絶縁状態であったとしても、葬式や荼毘、お墓の用意などはご家族やご親族が一緒にして下さる場合があります。私たちとしてはとてもうれしい話です。日本的な表現をするならば、仏様になったら生前のイザコザは不問と言えばいいのでしょうか。
二つ目は、友愛会にご協力して下さっているお寺の共同墓地「やすらぎの墓」に納骨させていただく場合があります。ご本人が生前からご希望されていたり、ご自身のご家族・ご親族がいなかったり音信不通だったりしたとき、そして生活保護を受けている場合は福祉事務所と相談してそうさせていただきます。
もう一つは、無縁仏になる場合もあります。様々な理由で、ご家族・ご親族も引き取って下さらず、友愛会でお骨を預かることもさせてもらえない場合も全くないわけではありません。いつもこの状況になる事だけは避けたいのですが、ごく稀に残念ながら無縁仏にならざるを得ない場合もあります。悲しいことです。
「やすらぎの墓」には、友愛会がこの活動を始めてから十数年で50人以上の方が納骨されています。お寺の住職のはからいで、二束三文で戒名をつけて下さり、墓石に掘ってくださいます。新しく納骨される方がいるときや、彼岸や盆の時季には、極力お墓参りに伺っておりますが、その度に墓石を洗いながら故人たちの顔を思い浮かべています。この墓地は高台の斜面にあって、陽の当たりもよく、都下の閑静な地にあります。穏やかな風が吹きぬけ、そこに赴く私たちだけでなく故人たちも心地よい眠りの中にあると思います。
日々の活動の中でいつも考えるのですが、人の「死」とはどういったものなのでしょうね。見送る人たちが思う「死」と、亡くなる本人にとっての「死」はなんだか同じではないような気もします。「良い死に方をした」、「辛いに死に方をした」などという場合の「良い」や「辛い」は多分見送る側が感じている「死」なのでしょうね。本人にとって自らの「死」はそれとは全く同じでないこともあるように思います。それは「死後」も同じです。無縁仏が切ないと感じているのは私たちであって、当の本人はどんな風に感じているのか。
ただ、こうしてほしいとか、そうはしてほしくないといった本人の生前の思いを聞いていたなら、その思いに添って弔いたいとは思うものです。そして、ともすれば勝手なことかもしれませんが、見送る側の私たちが感じる「死」や「死後」も良いものであることをいつも願います。
合掌。

2017年11月29日

友愛会の支援者への手紙 8

 

家族の肖像

「家族」という言葉にどんなイメージを持つでしょうか?
例えば、漫画「サザエさん」に出てくる笑いの絶えない家族というのはそうそうないとは思いますが、それでも喜怒哀楽を共に感じながら生活を紡いでいくのが家族だと思います。そしてその中で、子どもは善悪や人間関係、社会性を身につけ、自立し、また新しい家族を作っていく…。しかしながら、こういったイメージは「家族」に対するポジティブな側面であろう。悲しいかな、決してすべての家族が良い関係と環境の中にあるものではないことを皆さんもよく知っています。
「機能不全家族」という言葉は聞いたことがあるでしょうか?こう表現される状態の家族とは、夫婦間の不調のみならず、子どもの心と人生にも暗い影を落とすものです。そして悲しい「負の連鎖」を生み出す温床になってしまう。
機能不全家族とは、文字通り「家族として機能しない家族」と言えばよいでしょうか。これでは具体的には分かりにくいですかね。クリッツバーグというセラピストが、機能している家族と機能不全家族の違いを説明しています。機能している家族は、強固なルールや役割がなく、一体感があり、変化できるのに対し、機能不全家族は、強固なルールや役割があり、分断され、統一性がなく変化を嫌い対応できない、といった特徴があるそうです。原因として考えられるのは、家族の中に、アルコールや薬物、ギャンブルなどの依存者がいたり、極度な性格の偏りがある人がいたりといった問題がはっきりしたものだけでなく、仕事で家庭を顧みない父親がいるなどといった所謂“ふつう”の延長上にあるようなことも考えられます。いずれにせよ、この機能不全家族というものがもたらす子どもたちへの持続的ともいえる影響が、多くの「生きづらさ」を生んでいる。そんな事実が悩ましく思えてなりません。
学生の頃、私は大学近隣の教護院(現在は児童自立支援施設と言われている。昔の感化院のこと)で寮の宿直嘱託員をしていました。教護院(児童自立支援施設)は、犯罪などの不良行為をなす、またはなすおそれがある児童や、家庭環境等から生活指導を要する児童を入所または通所させて、必要な指導を行って自立を支援する児童福祉施設です。もう20年前ではありますが、教護院にくる子供たちの家庭環境を聞くと、概ね機能不全家族であることに気づき、大きなため息をついたのを覚えています。
翻って、現在友愛会の活動の中でも、児童ほど若くないにしても10代~30代の利用者とかかわる事が多々あります。彼らの生育歴・生活歴を知っていくと、やはり機能不全家族といえる状態が見えてきます。反面、次世代への影響だけではなく、祖父母への虐待なども見られます。友愛会には息子や娘から虐待を受けて逃げてくる高齢の利用者も多い。
家族の肖像は、ここ数十年の間、急激な社会の変化に呼応するように変化してきました。核家族化、高齢世帯、家族の個別化などなど。もちろん、負の変化だけとは言いたくありませんが、負の変化が目立っているのです。
私たちの人間が求める幸せとは何なのでしょう。人同士の関係を面倒くさがり、機能的な電化製品に囲まれて、自分勝手で自由な時間を享受して、簡単で便利なものを求め続けるだけであってはならないように思います。一緒にテレビを見て笑う時間こそが、電子レンジを使って親子で料理をする時間こそが、スマートフォンの使い方を親子で教えあったりする時間こそが、家族の肖像画を笑顔にする気がします。残念ながら友愛会にいる利用者でそんな時間を経験してこなかった方たちや、そんな時間が少なかった方たちに、私たちは少しでもそんな時間を作れればと思うこのごろです。本当の家族にはなれなくとも…。

2017年11月27日

友愛会の支援者への手紙 7

 

その人にとって必要なお手伝いとは


友愛会で行う生活支援?というか利用者さんへのかかわりは幅が広い。今までの友愛会の利用者さんたちへのかかわりを思い起こしていくと、友愛会は何屋さんなんだかわからなくなる。
ずいぶん昔、男性利用者の一人が東南アジアの女性といつの間にか婚姻させられていたということがあった。本人の話では、友愛会に来る以前、路上生活をしていてお金が全くなかった時に、繁華街のはずれで署名と押印をしてくれたら2000円出すと言われて応じたことがあったという。借金の保証人とかではないことを確認したが、お腹が空いて朦朧としていたのでよく読まずにサインしたとのこと。どうやらそれが婚姻届であったようだ。
何はともあれ除籍の手続きをしなくてはならない状態だが、もちろんその女性が現れるわけもないので、家庭裁判所ではなく地方裁判所の案件となった(詳しくは分からないが本人は頑として弁護士や司法書士を入れずに進めていたらそうなってしまったようだ)。裁判所の職員に裁判資料として女性の住所地(実際はそこには別の人が住んでいる様子)の写真などを添付してほしいと言われ、本人は撮りに行ったのだが、見ず知らずの人に絡まれてカメラを取られてしまったと言うのである。その後、今度は私が付き添い、もう一度女性の住所地に写真を撮りに行った。同じ徹は踏まぬよう望遠レンズで遠くから隠れて撮る。建物を出入りしている人を見ていると外国人ばかりである。男性利用者とびくびくしながらそそくさと逃げるように帰ってきた。
いやはや、なんだか探偵のような仕事であった。
内縁の夫を亡くし生活する気力と術がなくなったと入所してきた女性は、甲信越地方から東京に出てきて友愛会にたどり着いた。半年前に住んでいたアパートを出たときに、家財道具を地元のコンテナ倉庫に預けてきたが支払いが3~4ヵ月滞っていて、生活保護を受けた福祉事務所に相談したが諦めろと言われたとのこと。本人にとって亡夫の形見も入れてあるとのことで毎日泣いていた。
私は車を出して女性利用者と片道3時間の旅に出た。コンテナ倉庫に行くと、もちろん未納分を支払わなくてはならない。料金を立替えて払い、亡夫の形見以外で売れるものを近くのリサイクルショップに売りに行き、残りの立替え分はゆっくりと友愛会に返済することにした。なんだかんだと捨てられない荷物が多く、車をいっぱいにして帰ってきた。
いやはや、なんだか引越し屋のような仕事であった。
年金で細々と暮らしている老女が入所した際は、ちょっと怖い金融会社との交渉にも赴いた。3年ほど前にお金がなくなって借りて以来、抜け出せなくなり老女はカモにされていた。二ヶ月分で20万円と少しの年金であったが、彼女が借りていたのは10万円。二ヶ月に一度の年金支給日にすぐに支払いに行くと、利子を含め12万円の支払いをさせられる。本人は支払って、残り8~9万程度で1ヶ月生活する。次の月にはお金がなくなるのでまた10万円借金をする。その翌月には、また支払いに行き同じことを繰り返していた。何もしなくても金融会社が毎月利子を儲けられる図式だ。敵ながら上手いものである。
感心していても仕方がなく、老女と一緒に金融会社へ行く。支払いを済ませて、訳の分からない念書のようなものを整理し断ち切る。その後は友愛会が生活費を整理して負担なく暮らせていけるようにしていった。
いやはや、交渉人のような仕事であった(笑)。
身寄りがなく生活に困難をきたしている人にとって、この社会の中でお手伝いしてくれる人が見つかりづらく、その困難の原因になっていることは、得てしてこのようなかかわりが必要なものである。
健康管理も大切(医療的な支援)。日常生活などの援助も大切(介護的な支援)。司法的なことや金銭管理的な援助も大切(後見人や権利擁護としての支援:これはある意味公的な支援を使うべきですね)。ですが、それらの支援制度が届かないところ、すなわち専門性がないある意味家族的な支援がないことで「生きづらさ」がつくられていることも多いのである。その人にとって必要なそんなお手伝いをすることも大切な支援であろうと思うのである。

2017年11月26日

友愛会の支援者への手紙 6

 

ナイフとフォーク

電車やバスなどの交通機関に乗ると、当たり前のようにシルバーシート(最近はプライオリティシートの方が通じるでしょうか)があります。ある意味では、社会が障がい者や高齢者を受け入れているあらわれのようにも見えますが、反面、決められた席を確保しなくては、私たちは席を譲ることができないのかとも思います。本来なら、そんな席を作らなくても譲り合える社会こそが健全なものだと思うのです。
友愛会で活動していると、このような社会の矛盾がよく見えてきますし、その矛盾にさいなまれることが多々あります。
たとえば、アルコール依存症の方が生活保護を受けているとします。現物給付である医療扶助などは別として、生活保護は基本的には本人への現金給付です。本人が福祉事務所に取りに行く、もしくは本人の通帳に振り込まれるものです。アルコール依存症の方が現金を手にしたらどうなると思いますか?そうですね、飲んでしまいます。家賃代も生活費もすべて酒代にかわってしまいます。もちろん、そんな奴に生活保護を出すな!という批判の声もあるでしょうが、アルコール依存症はれっきとした「障がい」です。ある意味、本能の障がいとでも言えばいいでしょうか。彼らにとって「飲まずにはいれない」、それは依存症でない人の「眠らずにはいれない」と同じようなものです。生理的欲求と化した飲酒欲求は本人の意志だけでどうなるものではないのです。回復への支援が必要不可欠な障がいなのです。
話を元に戻しますが、私たちは、そんな彼らの生活の破綻を守り、障がい回復の手助けのために金銭管理の手伝いをします。もちろん、本人が「お酒をやめたい」という意志(意志だけではどうにもならないと言いましたが、まず本人の意志がなくてははじまらないので)があってはじめてすることです。本人がどうしても断酒への意志がでない間は出来ない事です。本人が気持ちのどこかで酒をやめたいと思っているならば障がいに負けないよう手伝うことが必要です。しかし、本末転倒かな本人への現金給付では、彼らの意志の中に断酒への思いがあっても「魔がさすこと」(本当に意志だけでは止めるのは難しいのです)を助長してしまいます。制度で決まっているからとはいえ、何のための生活保護費かと苦虫を噛んでしまいます。本人給付の厳格化の背景には、悲しいかな金銭管理と称して本人への生活保護費を流用するような事件があるからです。
私たちの活動は、制度がそうなら仕方がないと考えては何もできなくなります。もちろんルール(制度)をないがしろにすると言う事ではありません。矛盾を生む構図を明らかにし、一つ一つ丁寧にルールの本来あるべき解釈を探し、各々に伝えて理解を得ていかなくてはならないのです。
世の中の事象は「正しい解釈」が1つということはありません。片側から見れば「正しい解釈」でも、逆から見れば「正しい解釈」とは言えないこともあります。昔、南アフリカがまだアパルトヘイト(人種隔離政策)の只中にあったとき、黒人活動家のスティーブ・ビコ氏がこんなことを言っています。
「リベラルな白人は、私たちのことをかわいそうと思って食事を与えるとき、テーブルにつかせ、ナイフとフォークで食事を食べろといってくる。彼らリベラルが考える対等とは自分たちの考える自分たちの文化の中での「対等」という考えである。私たちはそんなことを望んでいるのではない。私たちには私たちの食事の文化がある。私たちは自分たちの培ってきた文化の中で私たちの食事をとりたいと言っているだけなのだ」
大概、マジョリティの中で正しいと思われていること、当たり前に良いのではと考えられる事に対して、われわれは盲目的に、疑問を持たず「それでいいのだ」と思ってしまうことがあります。しかし、そんなちょっとしたところにこそ、大切な視点が隠れているものです。

2017年11月25日

友愛会の支援者への手紙 5

 

向き合う

皆様に支えられて、東京の山谷という地域に小さな建物を借り、日雇労働や路上生活の末、健康も、身寄りも、お金も持っていない方に、布団とご飯と人のつながりを渡したいと考えて、ささやかな活動をはじめたのが十数年前でした。「10年ひと昔」と言いますが、確かに時代が変化していくのを感じます。「棄民の街・山谷」と言われていたように、世間から見放された山谷にいるおじさんたちのために作った建物に、今は「山谷を知らない人」たちも数多くやってきます。「不況」「不景気」などという言葉が当たり前になった昨今、10年前の山谷の問題は日本中の問題へと変わってしまいました。親子で餓死となったニュースなどを見るに「家がない」「食べ物に事欠く」といった現状は、遠い国や、山谷だけではないことを否が応でも痛切に感じるこの頃です。
そして、当たり前のことながら、「孤独の中にある人」「困難の中にある人」という言葉が表すものの広さと深さにも押しつぶされそうになります。簡単には解決できないからこそ、孤独と困難の中に埋没してしまうのだから、布団とご飯と人のつながりだけでなく、「向き合う」ことが必要なんだと感じます。「その人と向き合う」、「その人が自分自身と向き合う」、そして「私たちが自分自身と向き合う」ことで、人は食べ物のみで生きているのではないのだということが分かるような気がします。
生活保護の方や路上生活者の方が入所できる施設は随分増えてきました。一方、増加に伴い、それらの施設からも追いやられる方々も増えてきています。社会の隙間に陥った人達に掛けた新たな網(セーフティネット)は、また網の目の隙間からこぼれて、より困難な状況に陥る人達を生むという側面もある。友愛会は、常に「その次の網であろう」と活動しています。具体的に言うならば、路上生活者の方が施設に入り、しかし精神障害を患っているとわかると施設を出されてしまうということが多々あります。つまり、抱えている問題が重複すればするほどより生き場がなくなるのです。でもそういった状況にある人ほど私たちのような活動が必要ですよね。友愛会はそういう状況にある人達の行き場所でありたいと思うのです。それはやはり「向き合う」ことがより増えることに他ならないのです。もしかしたら「向き合う」ことで利用者の方と言い合いになることもあるかもしれません。利用者の方に理解されないまま終わることもあるかもしれません。そして、私たちも苛立ちと諦めに覆われることもあるかもしれません。それでもそれらを恐れて、私たちが「作り笑顔」や「ルーティンな関わり方」で在るならば、彼らがすり抜けてきてしまったそれまでの「網」となんら変わらないことになってしまうのですから。

2017年11月24日

友愛会の支援者への手紙 4

 

暮らすことと生きること

皆さんは、「暮らす」ということと、「生きる」ということの違いは分かりますか?「暮らす」というのは、生活するといったら分かりやすいでしょうか、文化的なものですよね。それに対して「生きる」は、もっと原始的な意味ですよね。生命をつないでいるような意味といえばよいのでしょうか。
言葉として、違いを考えればなんとなく分かります。では、その違いを意識的に考えたり、目にしたり、実感することはあるでしょうか。日常の中ではあまりないと思います。自分や家族が大変な病気になったり、地震などの突然の災害にあえば考えるかもしれませんが。
友愛会で活動していると「暮らす」と「生きる」の違いをよく考えます。路上生活をしていた方が、体を壊すなどしてどこかの福祉事務所に相談に行き、生活保護がついて友愛会などの施設に入所します。それは、「暮らす」と「生きる」のひとつのターニングポイントになる場合があります。
友愛会に来るまでのその人は、その日を「生きる」ことに一生懸命であることが多いのです。考えることは「生きる」ためのことばかり。眠る場所を探す、食べ物を探す、着るものを探す。わたしたちの生活では、日ごろ、「よく眠れる場所や時間」は探しても、「眠るための場所」は探す必要はありません。「食べたいものや健康に気を使った食べ物」は探しますが「空腹を満たす」ためには探す必要はありません。「気に入った服や着飾るための服」は選び探しますが、「肌を隠すためや暖をとるための服」は探す必要はありません。
もちろん路上で生活している方でも多少の生活の差はあり、食べ物や着る物を選んでいる人もいるでしょう。しかし、明日の食べ物、寝床に不安を持っている人もたくさんいるのです。毎日がサバイバルなわけです。そりゃあー「生きる」ことが思考の大部分を占めざるをえないですよね。
何らかのきっかけで、友愛会などの施設で生活することが決まると、明日の食べ物や寝床に不安だった人は、自分の布団(ベット)と三食のごはんを得て、最低限の生活は満たされます。これは、その人にとってはとてつもない変化のようで、人によっては涙を流して喜んでいる人もいます。明日の「生きる」ことへの不安がなくなるのは、それだけほっとするのでしょう。
そして「生きる」から「暮らす」にかわっていくのです。
「暮らす」ことへの変化は色々な動揺を起こします。分かりやすく整理して話すために、マズローという心理学者の「欲求階層説」という理論を紹介してみます。
マズローは、人間の欲求を5段階に分類して説明しています。そして、低次の欲求が満たされると高次の欲求を満たすように動機付けられるのだといっています。一番低次の欲求は、「生理的欲求」(食欲や性欲、睡眠・排泄・空気・庇護・への欲求、物欲、金銭欲など)で、その次は、「安全・安定の欲求」(安全、住居、衣服など)。その次は、「社会的欲求」(集団に属したり、仲間に受け入れられたりすること)、その次は、「自我・自尊の欲求」(尊敬されたい、名声を得たい)、そして最も高次の欲求は、「自己実現の欲求」(自己の能力を発揮して目標を達成すること)です。
友愛会を利用し「生きる」から「暮らす」に変化するのは、マズローの理論で言うところの「安全・安定の欲求」から「社会的欲求」への移行でしょうか。彼らが友愛会に来て「安全・安定の欲求」までを曲りなりにも満たすと、周り人との関係に欲求が向かいます。それまでの欲求が自分自身のことに限局されているのに比べ、「社会的欲求」は、関係性の欲求ともいえます。それがゆえに、ここでの欲求の移行は動揺が大きいのです。人間関係を構築することから思考が離れていた方々が、施設という一つ屋根の下で、欲求においてももちろんですが、環境的に人間関係を要求されるのですから。
友愛会での支援のひとつには、「暮らす」ことへのお手伝いがあります。同じ施設内でお互いを尊重しあって生活することがその良い例です。他人同士が集団生活をするのですから、それは大変なことですが、私たちスタッフが生活のルールを決めるのではなく、利用者がみんなで話し合ってお互いの意見と価値観を確認しあう。私たちは、利用者同士が面と向かって言い合えないときにオブザーバーとして一緒に話を聴く。お風呂の時間ひとつとっても、掃除の仕方ひとつとっても他人同士ならばぶつかるものです。でもそれが「暮らす」ってことですから。
良い生活を得ていくということは、順風満帆に、右肩上がりにってことばかりではありません。「暮らす」を得るために、生活の些細なことでも、本人にとっては乗り越えられない壁になることがあります。それを一緒に考え、解決し、がんばっていくことが私たちの大事な仕事であると最近は良く思うものです。
以前、友愛会を利用していた方が、ときどき元気な顔を見せに訪ねてきます。年輩の方なので仕事は見つけられなかったのですが、友愛会にいるときに体がある程度健康になったので生活保護を受けながらアパートで一人暮らしをしています。その人のとてもうれしい言葉があります。
「友愛会にいるときは、スタッフは何もしてくれないし、一緒に住んでる他の利用者はわがままだと思っていたけど、ここを出てやっとわかったのよ。世間にはいろんな人がいるから、ここでスタッフと一緒にあれやこれやめんどくさいこと繰り返してみんなで話したことの意味がわかったよ。あんたたち、色々考えてくれてたんだね」っていってくれました。伝わってよかったなぁーと思います。

2017年11月22日

友愛会の支援者への手紙 3

 

重心を探して

自転車にはじめて乗ったときのことを覚えているでしょうか?後輪の横に並んだ補助輪を外して、父に自転車の後ろを支えてもらい、放さないから安心してと言われるがまま、その実、父の愛情に騙され騙され、気づいたら一人で乗れていた。ちょっと微笑ましくも本人はとっても真剣だった幼き頃の思い出。もちろん、皆さん同じ体験をしたわけではないでしょうが、ハンドルを右に左に動かしながら、どうにもうまくバランスが取れない感覚は共通して覚えているでしょうか。あれは面白いもので、右に左に動かしている間は決してバランスは取れないようです。重心がなんとなく掴めて、左右のぶれがなくなって自転車は乗れるようになる。一度覚えると簡単なものなのですがね。
バランス感覚が豊な人。実は、私の目指すところであります。もちろん、自転車に乗れるという意味のバランスの話ではないです。自分の態度や意思を決める上でのバランスといえばよいでしょうか。物事はほとんどといって良いくらい完全なる正解や不正解、完璧なる正義や悪と断定できるものはないと思います。また、ひとつのことだけ考えて自分のやりたいようにすると失敗することなどはしばしばあります。色々な意味でより良い答えや結果を探るというのは非常に難しいものです。
私は看護師の資格を持っているのですが、病院で働いていたときと今の活動をするようになってからとでは、大きく考え方が変わったことがあります。考え方が変わったというより、考えの比重が変わったといった方が良いでしょうか。友愛会の利用者で80歳をこえている糖尿病の男性がいます。友愛会が今の活動を始めてからずっと利用されているので、ずいぶん長い付き合いになりました。肝臓も悪く、たまに入院したりもするのですが、お見舞いに行くと里心がでてきて、病院を抜け出して帰ってきてしまう人です。とても甘いものが好きで、スタッフの目を盗んではお菓子やジュースを買って食べてしまいます。糖尿病の人が、血糖値をコントロールできないのは決していいことではありません。皆さん承知のとおり、目が悪くなったり、腎臓が悪くなっていったりします。看護師としての立場から言えば、糖尿病に対して、食事療法はもっとも大切な対策のひとつです。しかし、80歳をこえた方が、食べたいものを制限され、そのためにストレスと苛々がたまっていく姿を見るに、心が痛むものです。病院で働いていたときは、それでも食べてはいけないよと言う立場に立って患者さんと接してきました。しかし、今私がいる友愛会の施設は、病院ではありません。病院に入院している非日常的な一時のことではなく、彼の毎日の暮らしとの係わりの中で付き合っています。年老いた彼の、おいしく食べたいというささやかな思いを、これから先、彼が人生を終えるまで否定し続けるのかと自問すると、食べてはいけないとは言えなくなってしまいます。「食べさせてあげたい」という思いと、「あとで(病気が悪化して)苦しんでほしくない」という思いの中で葛藤してしまいます。どうすればいいのかと・・・。
私が彼との係わりに出したひとつの答えは、“ バランス ”の中にありました。「食べさせてあげたい」という思いと、「あとで苦しんでほしくない」という思いは、私にとってはどちらかを選ぶというものではないものです。そう思い続けていると、「何故選ぼうとしているのか?」と考えるにいたりました。自分が目指す最良の答えは何なのかといえば、「食べても苦しまないこと」にほかならないはずでした。その思いに先んじて両立はありえない、どちらかを選ばなくてはならないと、自分で考える範囲を狭めていたのです。好きなものを食べられて血糖値をあげないように工夫するには、砂糖の代わりにパルスィート(カロリーオフの甘味料)を使ったり、おやつを食べたら食事の量を少しずつ減らしたりすることは可能です。簡単なことなんですよね。
毎日の生活の中で、誰もが色々な選択に悩み、解決しない問題を抱えながら暮らしているのでしょうが、私は、最近こう思うのです。その重い荷物は砂袋なんだと。ちょっと回りくどい言葉でしょうか。つまり、石の塊とはちがい、袋を開ければ重さが変えられるということです。「糖尿病の人はいっぱい食べてはいけない」が、「糖尿病の人は食べてはいけない」と解釈を間違えることが良くあります。とても大切な「いっぱい」という修飾語が削げ落ちていく。「食べてはいけない」ということだけが頭を支配し、何を食べてはいけないのか、どのように食べてはいけないのかという疑問を忘れがちになっていく。糖尿病は「食べてはいけない」のではないのです。「いっぱい食べてはいけない」のです。固定観念という石にしてはいけないのです。本当は、その重さを自由に変えられる砂袋のはずなのです。
バランスというのは、てんびんのようなものだけにある言葉ではありません。自分にあった捉え方、自分に適した量などを探ることもバランスを取るということではないでしょうか。てんびんという意味から見た「比重」、砂袋という意味から見た「荷重」、そのどちらも「バランス」をとらなくてはならないものであります。
そう、そういえば、自転車も重すぎてはパンクしちゃいますよね…

2017年11月15日

友愛会の支援者への手紙 2

 

理解への追及

「理解する」。この意味を考えると、いつも解らなくなります。理解するってどういうことなんでしょう。たとえば、私のように人との関わりの中にある仕事をしていると、その人を理解するということの難しさに日々直面しています。理解するということの答えは、私のような若輩者には解るものではないですが、理解するための自分自身の準備の仕方は解ってきました。あくまでも私見でありますが、「解かる」への第一歩は「疑問」を持つことにあるように思います。
一昔前までのインドにはカースト制度という身分階級制度がありました。皆さんご存知と思いますが、近年、制度自体はなくなったとされています。しかし、未だ根強くその思想は残っています。5,000年の歴史があるといわれているこの制度は、ヒンドゥー教との結びつきが強く社会への影響力はなかなか消えないのでしょう。この階級制度の威厳性は、世襲的な永続性によるものです。そのカースト(階級)にあるのなら、よっぽどのことがない限り、いつまでたってもそのカーストでなければならない。生まれた時点で階級の低い子は、どんなに望んでもテレビを見、車に乗る生活はかなわないかもしれないのです。 
ここでこのカースト制度に触れたのは、理解についてのちょっとした例え話をしたかったからです。
 “アチュートという身分(カースト制度の中ではカースト以下とされ「不可蝕賤民」と訳されている人たち)の物乞いをしていた女性が、子をやどり、貧民街の路地で出産をした。彼女は、自分の子が生まれるとすぐに、その子の手足を石に打ちつけ骨を砕いてしまった。それを見ていた周りの人は、彼女にやめるように叫び、体をおさえようとした。”
とても凄惨な話です。聞けば誰しもなんとひどい話だと思い、この女性に対して怒りを覚えるのでしょう。自分の子を傷つけるなんて、と。それが我々の「理解」です。
そこで、「疑問」を持ってください。いや、皆さんは「疑問」を持つでしょう。何故自分の子にそんなことをするのか・・・と。続きを書きましょう。
彼女は何故そのようなことをしたのでしょうか? 実は、身分制度のある世界ならではの悲しい理由がそこにはあるのです。先に触れたように、カーストでの身分は、ほぼ永続的に子々孫々まで続くものです。アチュートというもっとも低い身分であった彼女は、物乞いをすることでしか生きていく術がなかったのですが、その子も生きていくには物乞いをするしかないのです(もちろん絶対ではないのでしょうが)。彼女が愛息の手足の骨を砕いたのは、物乞いとして生きていくのによりみすぼらしく悲惨に見えなくては施しがもらえないことを知っていたからでした。こころの中で泣きながら、わが子を石に打ちつける彼女の行為について、あなたならどのように考えますか?決して良い行いではないかもしれませんが、その子が生きていくためにと思った行動。女性に対しての怒りは別のものへと変わるのではないでしょうか。そう、階級制度という悲しい足枷のある社会の中で、究極とも言える選択に迫られた彼女の心情を考えずにはいられないものです。
私たちの「理解」とは、このようなものなのでしょう。その本当の意味が解るのかといえば、その答えはNOです。このたとえ話の女性が本当はどのように思っていたのか、どれほどの苦しみがあったのか、それは階級制度のない国で生活する私たちには想像できないものかもしれません。それ故、絶対的な理解はNOでしょう。自分の知りえる現実や情報と、想像し考えられる範囲でしか推し量れないのですから当たり前ですが、このたとえ話のように、ともすれば私たちが日ごろ思っていることは、全く違った感情や答えになるかもしれないことが数多くあるのでしょう。あなたの身の周りにいるあなたが良い感情を持っていない人はどうでしょうか。あなたが不快に思う発言や行動の裏に何らかの理由はないでしょうか。まぁ、それを知っても気の合わない人はいるかもしれませんが。
私は、日々色々な人と関わる活動をしている中で、その人が何を考え、何を思い生きているかを理解したいという気持ちで覆われます。私たちの活動は、病気が良くなるための時間と場所を提供するためだけでも、借金を整理するために色々な資源を紹介し話を聞くだけでも、はたまた自立した生活のためアパートを見つけるために一緒に歩き回るだけのものでもないのです。それらの活動を行う根本には、現在の友愛会での生活に至った彼らの奥に潜む棘(とげ)を見つけることが必要なのだと思うからです。その棘にこそ、自立のためのカギや安心した生活へのカギがあるのではと思うのです。私たちが見つけることはとても難しいことです。「理解」は難しいのですから。ただ、その棘を彼ら自身が見つけるためのお手伝いをしたいのです。そうでなくては、様々な活動は、土台のない「やぐら」を立てるのと変わりないと思えるからです。
理解する・・・。ある意味では、ほとんどのことは「解かったつもり」でしかないのかもしれません。しかし、「解かりたい」という、その「理解」への追及こそが、私たちの活動の中では、彼ら自身の棘を彼ら自身が見つけ、抜くことへの一歩に役立つものだと思います。
「疑問」を持つこと、それは自分の「理解」が不完全なものだと知ることによって出てくるものなのでしょうから、「違う」、「間違ってる」とか「だめ」「気に食わない」と否定的に思う自分に対し、ちょっと一息ついてから、何故そのように考えるのか、何故そのようなことをしたのかと考えたいものであり、スタッフともしばしば言い聞かせ合います。
理解への追求は、その目的が「理解」するためのものでなくてもいいのではないでしょうか。色々な意味で「理解」が難しいのであれば(先にも触れたように気の合わない人もいますし、別の意味で真の理解の難しさということも含めて)、自分とそして関わる誰かの違った見方を生むものであればそれだけでも素敵な意味を持つものだと思います。

2017年11月08日

友愛会の支援者への手紙 1

 

明け方の蚊取り線香

「引出がなくなる」、「八方ふさがり」。スタッフが最近、これに似た言葉をよく口にします。何をしていいのか、どこに次へ進む答えがあるのか、それがわからなくなることが私達の活動の大部分をしめているようです。まるで季節を違えた渡り鳥のようにとでも表現すればいいのでしょうか。
 私ども友愛会は、「宿泊所」と言われる施設を4ヶ所運営しています。この「宿泊所」というのは、生活保護を受けている方で身寄りがない方や高齢の方、慢性疾患や心の病の方、年金を受け一人暮らしの方、無認可の金融機関での借金を作ってしまった方、家庭内暴力から逃げてきた方など、様々な理由で生活の場に苦労する方々が利用するところです。特に昨今は、心の病を患う方や、これまでの苦しい自らの人生のため頑なに心を閉ざす方などが多く利用しています。本来、「宿泊所」というのは、第2種社会福祉事業施設という社会福祉法上の認可を得て、「火災・立ち退き・高家賃等により住宅に困っている低所得の人及び生活困難等により住宅確保のできない方」(社会福祉の手引 東京都刊行物P202)を対象としたものです。しかし、現実的に利用者の大半は、「路上生活者」「野宿生活者」「ホームレス」などと呼ばれている住所不定の方々の一時的あるいは緊急的な生活空間となっています。
ホームレスになってしまうのはどうしてなのか?もちろん、その答えは十人十色ですが、多くの方は借金が端を発していたり、日雇い労働で生活していたが高齢になり収入もなく年金も受給できない場合や、家庭内暴力から逃げてのこと、あるいはリストラなどが多いでしょうか。皆さんは「そんなことは頻繁にはないだろ」と思われることでしょうが、私たちの周りではよく耳にするのです。たとえば、勤めていた会社が倒産し、家族に愛想をつかされ一人になり、自殺しようとしたが死にきれず路上生活者になるといった話はそんなに珍しい話ではありません。「好きで路上生活をしているのだろ」といった声を巷で耳にすることがありますが、路上生活者の大半は、自殺などを考え、でもそんな簡単に死ねるわけではなく自分のプライドを捨て、「路上生活は好きでやっているのだ」と自分にも他人にも言い聞かせている方が多いのです。これは、推測で言っているのではなく、私自身が今まで話してきた多くの路上生活者との会話がそれを裏付けてくれます。路上生活者のみならず、一様にしてホームレスになるきっかけは、家庭内暴力から逃げた人にしろ、知的あるいは精神障害を持つ身寄りのない人にしろ、自分ではどうしようもないことがほとんどなのではないでしょうか。そうでなければ誰が好んで住む家もお金も家族もない生活を望むでしょうか。
友愛会のスタッフは、宿泊所に入所してくる様々な悩みや病いを抱えた人たちと、その悩みの解決、病との付き合い方を一緒に考えながら、利用する人がよりよい生活を営めるようにと日々の活動に取り組んでいます。私を含め、なにぶん若いスタッフが多いため、利用者の平均年齢が60歳を越えていることを加味すると、利用者の子や孫の世代といって良いでしょう。当たり前のことながら人生の先輩である利用者の皆さんと、たとえばアルコールを断つために日々がんばっている人や、仕事をやる気になれない人などと一緒に克服または自立に向けて歩むにも、この年の差はいかんともしがたい壁となる場合があります。利用者本人にとって自分を律するための厳しい選択をするのですから、魔がさすときや逃げたくなるときなどの誘惑はいっぱいあるでしょう。そんなとき、自分の子供より若いスタッフの正論としての言葉は、腹が立つでしょうし、えらそうにも聞こえるでしょう。年の差のみならず、彼ら利用者の様々な体験を、私たちスタッフは実感として知らないのですから、「いつも正しいことを言うが、そんなことは知っている。できないものは仕方ない」と思われて当然なのでしょう。
人にかかわる仕事というのは難しいものです。特に、医療や福祉といった何らかのお手伝いをする仕事は、相手に我慢することを要望したり、できないことをできるようになろうと背中を押したりすることが多い仕事です。分かりやすく言うと「変わるためのお手伝い」といえばよいでしょうか。しかし、「変わる」なんてことはそう簡単にできるものではありません。しかも、歳を重ねた人たちが今までの自分を変えるなんてことは、それは100,000ピースのパズルを組み立てるより難しいでしょう。それが自分ではなく、相手(他者)が変わることへの参加となるとなお更です。そして、私たちお手伝いをする者が誤った感覚を持つならば、要望が強要になり、背中を押すことが無理やり手を引くことになることだってあります。その人の生活であり、その人の人生。私たちがどこまでかかわることが良いのかと日々スタッフは悩みます。「私のしていることは押し付けではないのだろうか」「私に彼らの考えに口出しする権利なんてあるのだろうか」と。
悪く言えば“お節介”なこの活動に対し、私自身は「変える」のではなく「伝える」活動だと解釈しています。答えを求めるものではなく、考えるきっかけや材料をそこに提示する仕事。そのきっかけや材料を使うか使わないかは、本人の選択でしょうし、より多くの材料があり、間違った材料に本人が気づけばそれが次への一歩になると思います。そのとき「伝える」ことに私たちが真剣に取り組めば、たとえその場で伝わらなくとも言葉と思いが彼らに残る。この残ったものが「きっかけ」や「材料」になるのであれば、それこそが私たちの活動が“お節介”から“お手伝い”へと意味を持つものになると信じて活動しています。
答えを求めない活動というのは、目に見えるゴールがないことであり、進む方向をなかなか設定できないことといえます。ぐるぐる回っているだけで、闇の中にいるように思えることもあります。でもそれは、暑い夏の夜に焚く蚊取り線香と同じでしょう。暗い夜にいっこうに進まない火であり、くるくる回っているようでも、夜明けは必ず来るものであり、蚊取り線香は朝にはその火を真ん中まで進め、その蚊よけという自分の仕事を全うするのです。私たちの活動も明け方の蚊取り線香になれるものでありたいと思います。

2017年11月01日