友愛会の支援者への手紙 32

 

言葉にならない

苦難の中にある人ほど他の人の苦難を想える。
15年以上前のことである。
友愛会が活動をはじめてまもない頃、一通の手紙が届いた。
封筒の裏を見ると、「静岡県御殿場市…神山復生病院…病棟…」の字が目に飛び込んできた。
神山復生病院は、およそ120年前に日本で最初にできた民間のハンセン病療養所がその前身である。
1996年、ハンセン病の方々を隔離し続けた「らい予防法」の廃止に伴い、神山復生病院でも「らい病床」は「一般病床」に編入された。
1906年にできた法律「癩予防ニ関スル件」から90年にわたり、この国はハンセン病の方を隔離し、差別し、家族を奪い、子を奪い、名を奪い、人生を奪ってきた。彼らが受けてきたあまりにも酷い仕打ちは筆舌に尽くし難い。
送られてきた手紙はとても短いものだった。
「友愛会の活動を知りました。そして山谷の労働者や路上に生きる人の現状も知りました。少ないですがお役立てください」
わたしは言葉を失った。
封筒には紙幣が数枚入っていた。
いつも思い、いつも言うのだが、私たち友愛会の活動は、とてもつつましく小さな活動である。
それは活動の規模のことだけではない。
知らず知らずのうちに、思いの狭きことや道を誤りそうになること、われを見失うこと、そして人の心を傷つけることもしてしまっている。
そんな自分たちを省み、言葉を失うのである。
私たちは、体も心もあまりにも矮小であると。
だからこそ、できることをできるだけ、思えることを思えるかぎり…と言い聞かせる。
その数枚の紙幣に報いるためにも。

2018年05月20日