友愛会の支援者への手紙 17

 

私たちの『小さなこだわり』

皆さんは「家庭」という言葉を連想するときに、どんなことを思い浮かべるでしょうか。
私は『ご飯(食事)』にまつわるものがとても多い。
夕食の準備をしているときの包丁で野菜を切る音。
大皿にのったおかずを兄弟で取り合っている姿。
「朝ごはんよぉ~」と起こしに来る母親の声とみそ汁の匂い。
友愛会の『小さなこだわり』の一つは、外注はせずにその場で作った食事を出すことである。いつも調理のスタッフが“見えるところ”で、また“音の聞こえるところ”で作っている。食器はなるべく瀬戸物を使って、ご飯とみそ汁は温かいものをよそう。たまには作ってる最中につまみ喰いをしたり、誰かが何か食べたいと云えば作ったり、正月はおせちを作り、節分には太巻きを作り…、そんなどこの家庭でもあるような『ご飯(食事)』にしようと思っている。
Aさんは30年来のアルコール依存症の方で、何度も何度も急性アルコール中毒やアルコール性肝炎などで救急搬送されていた。Aさんと友愛会との付き合いは、Aさんがドヤ(山谷地区の簡易旅館)に住んでいた頃からの付き合いで、もう十数年になる。9年前、酩酊状態で転倒し、大怪我をして入院をしてから、本人とじっくり話して友愛会の施設に入ることにした。それまでは、アルコール依存症の回復プログラムに通いながらも、何度も何度も断酒とスリップ(断酒が途切れてしまうこと)を繰り返してきた。飲まずにいられない病的欲求とこんな状態から抜け出したいと思う切ない希望が葛藤を生み、その葛藤が自暴自棄を、そして諦めと自虐を…そんな抜け出せない輪の中に彼はいた。最後に自分から「友愛に入れてくれ」と言ったのは、どうにもできないでいる現状への彼なりの抵抗だったと思う。もちろん、そんな自分を律する選択をそれまでも何度も試みたことだろう。その何十回目かも分からない『また失敗するであろう小さな選択と挑戦』を、彼はその時“また”したのであろう。
人生とは奇なるもので、Aさんにとって『素敵な誤算』があった。何をしても、何があっても飲酒を止められなかった彼が、友愛会の施設に入った後、いつの間にか飲まなくなったのである。
理由は、「Bさん(調理スタッフ)の作る飯が旨いから」。
たまたまである。
決して他のアルコール依存症の方に再現性があるものではない。
そんな理由で断酒が出来るとはふつうは思えない。
もちろん、それを必然的に意図して入所させたわけでもなければ、友愛会の活動はすごいだろと偉ぶる話でもない。
ただ、『ご飯(食事)』には“そんなこと”が起きる何かがあるのだと思う。
だからこそ、たとえ再三度返しであっても、今の『ご飯(食事)』の雰囲気とかたちは、私たちが大事にしたい『小さなこだわり』なのである。
Aさんはそれから9年間、お酒を飲まないでいる。

2018年01月05日