向き合う
皆様に支えられて、東京の山谷という地域に小さな建物を借り、日雇労働や路上生活の末、健康も、身寄りも、お金も持っていない方に、布団とご飯と人のつながりを渡したいと考えて、ささやかな活動をはじめたのが十数年前でした。
「10年ひと昔」と言いますが、確かに時代が変化していくのを感じます。
「棄民の街・山谷」と言われていたように、世間から見放された山谷にいるおじさんたちのために作った建物に、今は「山谷を知らない人」たちも数多くやってきます。
「不況」「不景気」などという言葉が当たり前になった昨今、10年前の山谷の問題は日本中の問題へと変わってしまいました。
親子で餓死となったニュースなどを見るに、「家がない」「食べ物に事欠く」といった現状は、遠い国や山谷だけではないことを、否が応でも痛切に感じるこの頃です。
そして、当たり前のことながら、「孤独の中にある人」「困難の中にある人」という言葉が表すものの、広さと深さにも押しつぶされそうになります。
簡単には解決できないからこそ、孤独と困難の中に埋没してしまうのだから、布団とご飯と人のつながりだけでなく、「向き合う」ことが必要なんだと感じます。
「その人と向き合う」、「その人が自分自身と向き合う」、そして「私たちが自分自身と向き合う」ことで、人は食べ物のみで生きているのではないのだということが分かるような気がします。
生活保護の方や路上生活者の方が入所できる施設は、随分増えてきました。
一方、増加に伴い、それらの施設からも追いやられる方々も増えてきています。
社会の隙間に陥った人達に掛けた新たな網(セーフティネット)は、また網の目の隙間からこぼれて、より困難な状況に陥る人達を生むという側面もある。
友愛会は、常に「その次の網であろう」と活動しています。
具体的に言うならば、路上生活者の方が施設に入り、しかし精神障害を患っているとわかると施設を出されてしまうということが多々あります。
つまり、抱えている問題が重複すればするほど、より生き場がなくなるのです。
でも、そういった状況にある人ほど、私たちのような活動が必要ですよね。
友愛会は、そういう状況にある人達の行き場所でありたいと思うのです。
それはやはり、「向き合う」ことがより増えることに他ならないのです。
もしかしたら、「向き合う」ことで利用者の方と言い合いになることもあるかもしれません。
利用者の方に理解されないまま終わることもあるかもしれません。
そして、私たちも苛立ちと諦めに覆われることもあるかもしれません。
それでも、それらを恐れて、私たちが「作り笑顔」や「ルーティンな関わり方」で在るならば、彼らがすり抜けてきてしまったそれまでの「網」と、なんら変わらないことになってしまうのですから。
