重心を探して

自転車にはじめて乗ったときのことを覚えているでしょうか。後輪の横に並んだ補助輪を外して、父に自転車の後ろを支えてもらい、「放さないから安心して」と言われるがまま、その実、父の愛情に騙され騙され、気づいたら一人で乗れていた。ちょっと微笑ましくも、本人はとっても真剣だった幼き頃の思い出です。

もちろん、皆さん同じ体験をしたわけではないでしょうが、ハンドルを右に左に動かしながら、どうにもうまくバランスが取れない感覚は共通して覚えているでしょうか。あれは面白いもので、右に左に動かしている間は決してバランスは取れないようです。重心がなんとなく掴めて、左右のぶれがなくなって自転車は乗れるようになる。一度覚えると簡単なものなのですがね。

バランス感覚が豊かな人。実は、私の目指すところであります。もちろん、自転車に乗れるという意味のバランスの話ではありません。自分の態度や意思を決める上でのバランスといえばよいでしょうか。

物事はほとんどといって良いくらい、完全なる正解や不正解、完璧なる正義や悪と断定できるものはないと思います。また、ひとつのことだけ考えて自分のやりたいようにすると失敗することなどはしばしばあります。色々な意味でより良い答えや結果を探るというのは非常に難しいものです。

私は看護師の資格を持っているのですが、病院で働いていたときと今の活動をするようになってからとでは、大きく考え方が変わったことがあります。考え方が変わったというより、考えの比重が変わったといった方が良いでしょうか。

友愛会の利用者で、80歳をこえている糖尿病の男性がいます。友愛会が今の活動を始めてからずっと利用されているので、ずいぶん長い付き合いになりました。肝臓も悪く、たまに入院したりもするのですが、お見舞いに行くと里心が出てきて、病院を抜け出して帰ってきてしまう人です。

とても甘いものが好きで、スタッフの目を盗んではお菓子やジュースを買って食べてしまいます。糖尿病の人が血糖値をコントロールできないのは決していいことではありません。皆さん承知のとおり、目が悪くなったり、腎臓が悪くなっていったりします。

看護師としての立場から言えば、糖尿病に対して食事療法はもっとも大切な対策のひとつです。しかし、80歳をこえた方が食べたいものを制限され、そのためにストレスと苛々がたまっていく姿を見るに、心が痛むものです。

病院で働いていたときは、それでも「食べてはいけないよ」と言う立場に立って患者さんと接してきました。しかし、今私がいる友愛会の施設は病院ではありません。病院に入院している非日常的な一時のことではなく、彼の毎日の暮らしとの係わりの中で付き合っています。

年老いた彼の「おいしく食べたい」というささやかな思いを、これから先、彼が人生を終えるまで否定し続けるのかと自問すると、「食べてはいけない」とは言えなくなってしまいます。「食べさせてあげたい」という思いと、「あとで(病気が悪化して)苦しんでほしくない」という思いの中で葛藤してしまいます。どうすればいいのかと…。

私が彼との係わりに出したひとつの答えは、“バランス”の中にありました。

「食べさせてあげたい」という思いと、「あとで苦しんでほしくない」という思いは、私にとってはどちらかを選ぶというものではありません。そう思い続けていると、「何故選ぼうとしているのか?」と考えるに至りました。

自分が目指す最良の答えは何なのかといえば、「食べても苦しまないこと」にほかならないはずでした。その思いに先んじて、両立はありえない、どちらかを選ばなくてはならないと、自分で考える範囲を狭めていたのです。

好きなものを食べられて血糖値を上げないように工夫するには、砂糖の代わりにパルスィート(カロリーオフの甘味料)を使ったり、おやつを食べたら食事の量を少しずつ減らしたりすることは可能です。簡単なことなんですよね。

毎日の生活の中で、誰もが色々な選択に悩み、解決しない問題を抱えながら暮らしているのでしょうが、私は最近こう思うのです。

その重い荷物は砂袋なんだと。ちょっと回りくどい言葉でしょうか。つまり、石の塊とはちがい、袋を開ければ重さが変えられるということです。

「糖尿病の人はいっぱい食べてはいけない」が、「糖尿病の人は食べてはいけない」と解釈を間違えることがよくあります。とても大切な「いっぱい」という修飾語が削げ落ちていく。「食べてはいけない」ということだけが頭を支配し、何を食べてはいけないのか、どのように食べてはいけないのかという疑問を忘れがちになっていく。

糖尿病は「食べてはいけない」のではないのです。「いっぱい食べてはいけない」のです。固定観念という石にしてはいけないのです。本当は、その重さを自由に変えられる砂袋のはずなのです。

バランスというのは、てんびんのようなものだけにある言葉ではありません。自分にあった捉え方、自分に適した量などを探ることも、バランスを取るということではないでしょうか。

てんびんという意味から見た「比重」、砂袋という意味から見た「荷重」、そのどちらも「バランス」をとらなくてはならないものであります。

そう、そういえば、自転車も重すぎてはパンクしちゃいますよね…。

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